大判例

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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)11422号 判決 1960年7月21日

原告(株式会社) ペトロフイーナ

被告 三菱商事株式会社

主文

1、原告の訴を却下する。

2、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の申立

原告は「1、別紙目録記載判決(以下本件判決という。)は原告のため強制執行をすることができる。2、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。

第二原告は、請求の原因として、次のとおり主張した。

一  本件判決は、一九四〇年十一月二十二日ソシエテ・ピユルフイーナ・マリテイーム(株式会社、以下甲会社という。)がカルフオルニヤ州南部地区中央分区米国連邦地方裁判所に提起した訴訟について、一九四二年四月十日別紙判決書写記載の当事者に対して言渡されたものである。

右判決に対しては、本訴被告、ジエネラル・ペトーリウム株式会社、ローヤル・インデムニイテイ株式会社及びハートホード・アクシデント・インデムニイテイ株式会社の四法人が甲会社を相手として、米国連邦第九巡回地区控訴裁判所に控訴し、さらに同じ当事者が米国連邦最高裁判所に上告したが、一九四三年四月五日サーシオレーライ(certiorari)を求める申立が却下せられた結果、同月三十日本件判決が確定するに至つた。

二  原告は、本件判決に原告として表示せられた甲会社の有していた一切の権利義務を承継したものである。

すなわち、原告はベルギー法人である甲会社の株主であつたが、一九四一年六月二十五日同会社の発行株式の全部を取得したので、甲会社についてベルギー法の規定によつて当然に解散の効果を生じ、その結果、甲会社の清算が原告によつてなされた。

かくて、甲会社は、その存在を停止し、原告は、甲会社の総株式を所有し、かつこの株券に付与されている一切の権利を享有する結果甲会社の法人格の消滅という事実のみにより、慣例の所有権移転を要せずして甲会社の一切の財産の唯一の所有者となつた。そして本訴原告は併合された甲会社の一切の権利及び株式に対して代位し、かつ、甲会社の一切の財産(積極財産及び消極財産)を所有するので、甲会社の一切の債務につきこれを限度として責を負うことになつた。

右の経過によつて明らかなように、甲会社から原告への権利義務の承継があつたのは前記訴訟が第一審裁判所に訴訟係属中のことであつたが、原告は、甲会社と交代して訴訟当事者となることなく、甲会社の名において訴訟手続が進行せられ、甲会社の名において本件判決がなされたのである。

三  本件判決は以上のような経過のもとに訴訟係属中に消滅した法人である甲会社の名において言渡された判決であるが、甲会社の権利承継者たる原告は、米国法のもとにおいて、自己のための有効な判決として、その効力を主張することができるものであるから、執行判決を求めるべく、被告に対し本訴に及んだしだいである。

四  被告は本件判決を無効なものと主張し、田中教授の鑑定を援用するけれども、以下に述べる理由により、その主張は正当でない。

(一)  日本国の裁判所においては、本件判決の有効無効を判断することはできない。

すなわち、本件判決はアメリカ合衆国の国家機関たる司法府の意思表示である。主権国家の意思表示といえども外国において受け入れられないことはあろう。しかし、外国は、それがその国において無効のものであるということを理由とすべきではない。それは正しく立ち入つた干渉というものであり、国際礼譲から慎しむべきことである。外国のなし得べきことは友誼的なアドヴアイスしかあり得ない。確定的な意思表示としてなされたものはそのまゝ受け入れられなければならないものと信ずる。

本件の場合においては、外国判決の効力が何人に及ぶかは判決のあつた外国の法律によつて決められることであつて、我国の裁判所が執行判決をなすに際して、その適否を論じ得べきものではない。民事訴訟法第二百条の規定は、外国判決の効力をそのまゝ容認するに過ぎない、と解すべきである。

(二)  本件判決は取消の手続を要せず、絶対的に無効であるから形式的に確定していても有効であるとはいえない、という被告の主張はあたらない。

本件判決は被告の手段をつくした防禦にもかゝわらず、サーシオレーライを求める申立の却下により確定した。これにより判決はいつでも執行できる状態になつたわけである。もし、被告が、この判決は絶対に無効だからといつて、手をこまねいてその執行を妨げることができるだろうか。否、かゝることはありえないのである。それは洋の東西、法制の態様如何にかゝわらず、およそ裁判制度の必然的結果である。裁判の当然無効を認めんか、国家の最終的判断は知る由もなく、紛争の解決は永遠の彼方に持ち越される。実際問題として誰がその無効であることを決めるのだろうか。三つの裁判所の手を経た判決が一私人の見解により何らの効果をもち得なくなるということは法律実務家として想像することができない。

英米法系の国における標準的権威書であるホールスペリの英法大全においても、

「原則として、裁判所、裁判官又は主事は、当面の訴訟又は案件においてなされた申立による場合でも或いは判決又は命令の再審理のため提起された新たな訴訟においても、判決が記録され又は命令が作成された後は、これを再審理又は変更する権限を有しない。この原則は裁判所が訴訟の終局性を重視することのもう一つの例証である。しかしこの原則は一定の制限に服する。

死亡している者又は解散し、もしくは存在しなかつた会社を敗訴せしめて記録された判決は令状の日附の日及びそれ以後のすべての重要な時点において無効であり、その事実が裁判所の知るところとなつたとき直ちに職権をもつてかゝる判決を取り消し、かつ、その無効たることを宣言するのは裁判所の義務である。」(第十九巻 判決及び命令 第九節 判決又は命令の修正又は取消 第一款 概説 五百六十頁)

この建前は、日本法の考え方に実質上等しく、裁判制度を認める以上、法律常識上導かれる結論には大差ないことを示すものである。たしかに実在しない当事者に対しなんらかの給付を求めるような判決は実効がないという意味で無効ともいえるであろう。しかもなお、裁判所が無効宣言をするのである。

しかし、実在しない当事者のためにされた判決の当然無効ということは考えられないのである。

本件の場合もしこれを無効とするならばその利益はどこにあるかを考えれば、この点は一層明らかである。すなわち、原告が再び訴訟を起せば被告は結局同一額の金員を支払わなければならないのだから、本件判決が無効となつても、少しも被告の利益になることはない。訴訟経済からいえば全く無駄な手数たることは言うまでもない。もし無効とすることにより利益ある場合があるとすれば、それは甲会社と原告とが利益相反し、原告に帰すべきものが甲会社に奪われるという関係ある場合にのみ、原告のために利益であるというに過ぎない。しかし、本件では原告は甲会社の訴訟行為を追認し、これを援用する意思を示していること明らかである。してみれば本件判決を無効とすることは何人の利益にもならず、いたずらに無用の訴訟費用を費やさせるのみである。

米国における本件判決を無効とする先例として引用されている判例すなわち、ムンマ対ポトマツク事件(一八三四年、Mumma v. Potomac, 8pet.281, 8L. ed. 945 )及びクロスマン対ヴイヴイエンダ・ウオタ会社事件(一九〇七年、Crossmanv. Vivienda Water Co., 150 Co1. 575, 89 pac. 335)は、いずれも解散した会社に対する判決が問題となつているのである。殊に前者は、解散会社に対しこれから判決を出すかどうかの問題であつて、解散会社に対しすでに下された判決が有効か否かの問題は全然論じられていない。

後者では、本件に関して言えば次の四点を明らかにしている。

第一は、判決が解散した会社に対するものであつたことである。

第二は、会社解散の時期が訴提起前であつたことである。原告は、訴訟前すでに解散していた会社に対し(原告はその事実を知つていたものと推定される。)、その会社がなお存在しているものとして当初はその会社の株主もともに、後に会社に対してのみ訴を起し、被告の答弁のないまゝで勝訴判決を確定させたのである。従つて本件事案とは著しく異り、本件の先例とはなりえない。

第三は、かゝる判決に対してすらその無効なることを明らかにするため新たに判決が求められていることである。判例集にあるこの事件がまさにそれである。そしてこれに関し、無効確認を求めるための利害関係の存在も問題とされている。従つて判決の当然無効ということは米国においてもやはり存在しないと考えられる。のみならず、無効を主張しうる期間の制限すらあるようである。

第四は、エストツペルが問題とされていることである。この事件では解散会社の株主が無効の宣言を求めたのだが、最初原告が会社並びに株主を相手とした訴訟を起した時、すでに株主は会社の解散を主張していたのであつて、こゝに判決の無効を主張することはエストツプされないと認められた。この判決によれば、それと反対に、本件において被告は甲会社に対し控訴上告をしているのであるから、エストツペルの法理により、甲会社の消滅を主張しえないと考えられる。

(三)  かりに米国法において、「法人解散の場合において訴訟が消滅する。」という普通法の原則があるとしても、本件判決は海事事件(Admirality)の手続における判決であるから右の原則が適用されるかどうかは疑問である。

(イ) 海事事件手続法(Admirality Practise )の一般的特質海事事件の法は大陸法(Civil Law )に由来し、その手続は普通法でも衡平法でもなく、独特のものである。すなわち米国の海事事件の訴訟手続は一般に、他国に行われるものと同様であつて、全国統一されており、例外はあるが衡平法の訴訟手続のリベラルな法則に従つており、最高裁判所の公布した海事事件規則に制約される点以外は海事事件裁判所がその権限によつてこれを定めるが、その法則は衡平法のそれよりもはるかにテクニカルの度が少なく、通常普通法の原則よりもいずれかといえば衡平法の原則に従うものである。従つて、海事事件の手続は、(1) プラステイツクな性質を有し、概して判例法(judge-made law)であり従つてテクニカルでないこと、(2) 訴答(pleading)及び手続が極端にリベラルであることが認められ、裁判が適正に行われるのがテクニカルな理由のために妨げられるのを許容しないこと、(3) この手続は、衡平法の訴訟手続の性質を帯びるので、普通法が形式性(formality )に与える重要性はそこでは著しく無視されるものであることが確立されていること、(4) この手続は簡単かつ非技術的であるべきこと、の各特質が認められている。

(ロ) 死亡の場合における海事事件の法則

海事事件の対物訴訟(lihel in rem)は、通常事件の場合における法則と異なり、当事者の死亡によつて消滅しない、という法則がある。のみならず、米国法の母法である英国法においても、海事事件手続においては、訴答手続における「アベイトメントの抗弁或は防禦は認められない(″No plea or defence shall be pleadedin abatement″ )。」のである。

(ハ) 以上のような趣旨を明らかにした判例もある。

アメリカン・トランスポーテイシヨン会社対スヰフト会社事件(一九二八年、American Transportation Co. v. Swift & Co. 24F. 2d. 310, 米国連邦第二巡回区控訴裁判所―以下アメリカン事件という。)においては「法人に関する訴訟原因がその法人よりも永く存続する場合法人がこれに基いて開始した海事事件手続は法人解散後その法人の名においてこれを続行又は再開できる。」ことが明らかにされている(コーパスジユーリス・セクンダム Corpus Juris Secundum 第二巻、百八十五頁 第九十三節 (2) 参照)。またトルコ共和国対ザデー等(ヨヅガツト号)事件(一九五三年、Republic of Turkey v. Zadeh et al. The Yozgat, 112F. Supp. 933, ニユーヨーク州南部地区連邦地方裁判所)でも同一の趣旨が述べられている。すなわち、この事件は部分的に船荷に関して対物訴訟(Libel in rem)であり、実質的船舶所有者と傭船者間の船賃に関する争であつて、権利が転々した船会社中の一つについて一種の解散があつた事件であり、判決においてはアベイトメントの主張を却けている。なお、事案の態様において権利の移転の面も包含するこの事件においてダイモツク判事は次のように述べている。「アドミラルテイでは被承継人の名において承継人のために訴訟を維持しうるとの法理については論義の余地がない。」

(四)  前述の海事事件の特別の適用なく、普通法の原則によるとしても、ベルギー国の民事訴訟法には次に述べるとおりの規定があるから、右の規定の適用によつて普通法の原則の適用は排除されるべきである。

甲会社の設立準拠法国はベルギー国である。そしてベルギー国の商法会社編第百七十八条第一項には「商事会社は解散後もなお清算の目的のために存続する。」と規定されているところ、甲会社はすでに清算が結了して法人格が消滅しているから、右規定をもつて前記普通法の原則に対する別段の定めということができないとしても、次のような民事訴訟法の規定は別段の定めに当るというべきである。

すなわち、同国の民事訴訟法第三百四十二条によれば、「準備のできた事件の判決は、当事者の地位の変更によつても、訴訟を追行している資格の喪失によつても、死亡によつても、代理人の死亡、辞任、禁治産又は解任によつても延期されない。」とあり、同法第三百四十三条によれば「事件は、弁論の始まつた時準備ができたものとする。双方の申立が法廷に提出されたときは、弁論は、始まつたものとみなす。<以下省略>」と規定されている。なお、同国の一八七二年十一月二十一日の最高裁判所の判決によつて、書面が提出されたときは、たとえ、それが主張全部を尽したものでなくとも、事件が準備されたものとされることが、明らかにされている。

本件についてみれば、訴状提出が一九四〇年十一月二十二日、答弁書提出が同年十二月十一日、甲会社の解散が一九四一年六月二十四日であり、前記ベルギー法によれば、一旦弁論がなされたのであるから、当事者の資格がどうなろうとも弁論はもとのまゝ続行し、甲会社は解散しなかつたもののように甲会社の名において判決がなされることになる。

従つて、このようなベルギー国民事訴訟法の規定が米国法にいう別段の定めに該当するかどうかが検討されなければならないが、これは積極に解するのが当然である。

本件鑑定人田中和夫の書面による鑑定(以下田中鑑定書という。)によれば、別段の定めとは「解散後も少くとも訴訟をする目的のために法人格が存続する旨の規定(鑑定事項第三鑑定の結果三に対する説明四の(1) )」とされるが、他面「法人解散の場合につき、訴訟が消滅するとかしないとかいうのは、その解散法人の名において訴訟を続行することができるか否かの問題である(同上説明五(4) 最終節)。」から、本件においても判決が甲会社の名においてされたことが結果的に正当であればよいのであつて、甲会社の法人格の存続は直接の問題ではない。すなわち、法人格の存続の規定があればその名における訴訟追行ができると解しえられるが、又別に訴訟追行の可能性が直接に規定されておればそれでもよいのである。そしてこゝに述べたベルギー法の規定は正にこの後者の訴訟追行の可能性を示している。というよりベルギー法ではそれが義務づけられている。

さらにこのベルギー法の規定は実体法中ではなく、ベルギーの法廷における訴訟手続につき規定した法律中に存在するものである。すなわち解散会社の権利という面からとらえられたものではなく訴訟手続における解散の効果という面からの規定である。

しかし、米国の訴訟手続において、法人設立国の法律につき実体法と手続法とを区別してはいないのであり、現に田中鑑定書に挙げられているニユーヨーク・ストツク・コーポレーシヨン法の第九十条は「法人が当事者たる係属中の訴訟はその法人の合併によつては消滅又は終了せず、合併がなかつたと同様に終局判決まで追行するか、又は裁判所の命令により合併法人が当事者として合併によつて消滅した会社に交代することができる。」と規定しているが、これは日本法流にいえば訴訟法に属すべき事柄である。要するに、ベルギー法の規定では、ある程度まで進んだ訴訟は当事者の地位がどうなつたとしても、もとの当事者の名前でその訴訟を継続することができるというのであるから、右の規定と性質を同じくする。解散後の会社の法人格が、実体法において絶対的に存続するものと規定されようと、訴訟法の規定により反射的に法人格あるが如く扱われようと、現に訴訟が係属する以上その効果は同一である。田中鑑定書の引用する例についてみても、米国において別段の制定法として扱われているものも、法人格の存続を規定したものではなく、何年間かその名において訴訟ができるというだけのことである。日本法流の観念的な法人格はその期間中又は期間後はどうなるのか必ずしも明らかでない。まして取締役が訴訟を引き受けるときの法律構成は法人格の存否いかんということだけで割り切れるものではない。従つて右に述べたベルギー法の規定は正しく田中鑑定書にいう別段の制定法にあたる。すなわち、会社設立の準拠法国の制定法をもつて、訴訟追行権を認めているのであり、換言すれば、訴訟に関する限り法人格の存続を規定しているということもできる。本件判決が甲会社の名でなされたことは結果において正当なのである。

(五)  以上のほか、米国連邦民事訴訟規則第二十五条(C)は訴訟中利益が移転した場合について規定し、この場合訴訟は原当事者により又はこれに対して続行することができるとされている。そして本件はこの場合にも該当するのであるから、原当事者の名においてなされた本件判決は有効である、といわなければならない。

田中鑑定書は、本件がこの場合に当るのではないかとして考察を試みたうえ、結局消極的立場をとつている(鑑定事項第三、鑑定の結果七に対する説明一一)けれども、その具体的な根拠は明かでない。そこに挙げられている判例(マクコウム対ロウ・リヴアー・ランバア会社事件(一九四九年、Mc Comb v. Row River Lumber Co. 177F. 2d 129, 米国連邦第九巡回地区控訴裁判所、以下マクコウム事件という。)は、田中鑑定書の見解の裏付となるものではなく、むしろ鑑定の結論はこの判例の趣旨にやゝ反しているものと考えられる。しかしながら右鑑定書は、この判例の存在にもかゝわらず、本条項によれば原当事者でも訴訟ができるが、その場合、本条項は原当事者がなお人格を有していることを前提としているにもかかわらず、本件の場合甲会社の人格が消滅していることを理由としてさきの結論を下したのである。すなわち、この結論は条文自体の解釈に基くものであり、しかもその解釈は英米法の原理に基くものではなく、単なる推理と認められる。

しかしかゝる解釈が正当かどうかにわかに断定できない。田中鑑定書の解釈は「人格のない以上訴訟当事者となりうる筈がない。」という原則を公理とし、一切の結論をひき出しているのである。しかし、かりにこのことがいえたとしても「人格が消滅すればその名において訴訟を維持することはできない。」ということは、直ちにはいえない。たとえば、人格の存否を厳格に論理的に峻別している日本法においてすら、訴訟代理人のあるときは死亡者の名における判決が可能である。田中鑑定書によれば、米国法においても、合併によつて消滅した法人が自ら訴訟を追行することができると解釈している(鑑定事項第三、鑑定の結果三に対する説明、五(4) )。従つて本件では原当事者が人格を失つているという理由で、本件は利益の移転の場合には当らない、ということはできない。

一方本件の場合を素直に観察すれば正しく利益の移転そのものということができる。すなわち、利益は現に移転しており、なぜそうでないといえるのか、わからないのである。反対に解すべき根拠のない以上、本条項も適用されるべきである。権利の客体(利益)が異る主体間を移転したものと考えるのが当然であるからである。

(六)  本件については、先例又は明文の規定がないとしても、もつとも事情の類似した法人の合併の場合の例をもつて律せられるべきである。

田中鑑定書によれば、米国法においては、訴訟当事者である会社が合併して消滅した場合は、消滅法人が自らその訴訟を追行することができるが、本件の場合は合併ではなく、法人格の消滅という観点から、もとの当事者は存在しないのだから、その名前で判決できる筈はない、というのである。

しかしながら、合併でない場合であつても、合併の場合の規定や解釈の適用の余地がないということにはならない。むしろ本件の場合にもつとも類似しているのは合併の場合であるから合併の場合の例をもつて律せられるべきである。

もちろん公証人の証書(甲第二号証)のうちには、甲会社が清算を結了した旨の記載があるけれども、それ故に、清算そのものを必要としない合併の場合とは範疇を異にする、とはいえない。本件の場合には清算という言葉が使われているだけで事実上何らの清算も行われておらず、株式が一人の手に帰したという事実により、一方では甲会社が当然に解散し、他方では原告が包括的に甲会社の有していた権利義務の主体となるのである。「解散し同時に清算結了した。」という言葉で表現されていても、かゝる関係は合併の場合と実際上全く同一である。

田中鑑定書においては、合併と異る一理由として原告の責任に限度があることを挙げている。しかし相続にも単純承認と限定承認があるように、責任に限度をもたせる合併が法律上不可能とはいえないから、かゝる事実は制定規定の問題であつて本件を合併と本質的に異らしめる理由にはならず、まして合併の場合の規定を準用することを拒む理由にはならない。

さらに、原告が個人たる株主である場合にも考えられる、というけれども、法人から個人への権利移転が訴訟法上法人間の権利移転と全く区別すべきである、という根拠はない(個人から法人への遺贈ということも法律上存在する。)。

田中鑑定書においても、本件が「利益の移転」には該当しない、と鑑定した個所においては合併の場合の判例を引用している如く(鑑定書第三注四十三)、本件の場合には合併と同視するのがもつとも素直であることを物語るものである。

五  本件において外国判決について執行判決を求めているのであるから、外国判決を確定判決として主張するためには民事訴訟法第二百条に定める各要件を具備していることを必要とするものであるが、右のうち第一号と第三号の要件を充していることは問題なく、第二号は被告が本件判決の基本となつた訴訟において反訴を提起していることによつて充されている、といえる。

そこでさらに第四号の相互の保証があるかどうか、についてみるに、田中鑑定書(鑑定事項第一)によれば、次のように解すべきであるから、これを援用する。すなわち、相互の保証とは、当該外国においても、我国とほぼ同様又はそれよりも厳重ではない要件のもとに、我が国の裁判所の判決の効力を承認することを意味するところ、米国法においては外国裁判所がした判決の効力を一定の要件のもとにおいて承認するのである。換言すれば、右の限りにおいて、外国判決に基く訴訟において、米国の裁判所はその外国判決に終局的な効力を認め、判決の実質的内容(merit )については審査を行わないのである。

右にいう要件は、大体において相互の保証という要件を除いては、わが民事訴訟法第二百条に定める要件と大差がない、ということができる。すなわち、米国において外国判決の効力を承認する要件は、大体次のとおりである。(1) 当該外国がその事件につき、米国法の立場において、裁判権を有し、かつ、当該外国裁判所がその事件につき、当該外国法上、裁判権を行使する権限を有すること。(2) 当事者に対して、当該訴訟の係属したことを公正に告知し、審理をうける機会を公正に与え、かつその他その判決を取得するについて詐欺的行為がなかつたこと。(3) その判決が米国の公益に反しないこと。

しかして、米国が外国判決の承認の問題について相互主義をとつているかどうにかついては争いがある。連邦最高裁判所の判決であるヒルトン対ギユヨツト事件(Hilton v. Guyot(1895)159. U. S. 113, 40 L. ed. 95, 以下ヒルトン事件という。)は相互主義をとる旨を言明している。すなわち、フランス裁判所は、米国裁判所の判決の内容を終局的であるとはせず、その内容につき再審査をするから、米国裁判所もフランス裁判所の判決の効力を承認しない(その内容を終局的であるとは認めない。)としたのである。しかしながら、この判決の拘束力については今日では学説においても、ニユーヨーク州の裁判所においても、さらにカルフオニヤ州の制定規定においても、否定的見解がとられており、否定説が、圧倒的に優勢であるといわなければならない。

米国の裁判所が相互主義をとつているかどうかについて、いずれの見解をとるにしても、わが国においては米国裁判所の判決の効力は承認せらるべきである。すなわち、米国が相互主義をとるものとすれば、米国がわが国とほゞ同様な要件のもとにわが国の裁判所の判決の効力を承認することになり、相互主義をとらないものとすれば、米国がわが国より寛大な要件のもとにわが国の裁判所の効力を承認することになるからである。

なお、被告は種々の観点から原告の主張に対する反論を提出しているので、以下その理由のないことを明らかにする。

まず、被告は、本件事案に関しては、日米両国において相互保証に関する取り極めもないし、相互保証をうけるべき事実上の強い期待ももちえない、と主張するが、この問題はすでに二十五年も前にわが大審院の判例において明らかにされているのである。すなわち、昭和八年十二月五日大審院は昭和八年(オ)第二二九五号事件について、カリフオルニア州の裁判所の判決に関して、次のように判決している(法律新聞三六七〇号)。

(前略)上告論旨第四点ハ原審判決ニ於テハ民事訴訟法第二百条第四号(相互ノ保証)ノ解釈ニ付「相互ノ保証トハ外国ノ成文法判例慣行等ノ上ニテ実際上当該外国カ我国ノ裁判ノ当否ヲ調査セス又大体ニ於テ民事訴訟法第二百条ノ定ムルトコロニ等シク又ハ之ヨリモ寛大ナル条件ノ存否ヲ調査シテ我国ノ判決ニ執行力ヲ付与スル場合ニハ我国ニ於テモ当該外国判決ノ内国ニ於ケル効力ヲ認ムト謂フニ在ルモノニシテ国際条約ノ存在ハ必要ナラサルト共ニ国際条約アリトシテ実際ニ相互主義カ行ハレサルトキハ相互ノ保証ナキモノナルヲ以テ控訴人等ノ本主張ハ謂ハレナシ而シテ成立ニ争ナキ甲第四号証ニ依レハ北米合衆国ニ於テハ聯邦ノ判例ニ依リ外国判決ヲ其ノ当否ヲ調査セスシテ同国内ニ於テ大体我国法ト同一ノ条件ノ下ニ執行セシムルコトヲ認メ得ルカ故ニ我国トノ間ニ於テ相互ノ保証アルモノト為ササルヘカラス」ト認定シタルモ右甲第四号証ニ依レハ外国判決ノ内容ヲ更ニ調査セスシテ執行判決ヲ与フルニ付テハ(一)其ノ国ノ人民ト他国ノ人民ト差別ナキ法制ノ下ニ(二)裁判所及法制ニ不公平ナク(三)判決ヲ得ル為メ詐偽ナク(四)且当合衆国民カ国民礼儀ヲ尽ス必要ナキ特別事情存セサル限リナル四個ノ重要ナル条件ヲ該外国判決カ具備スルコトヲ要シ尚「宣誓陳述書ヲ以テ相手方ニ対スル債務ヲ拒否スル場合ニハ事実審理ヲ再審スル」場合アル規定ナルコト明ナレハ我国ノ民事訴訟法第二百条ノ条件トハ著シク異リ尚我国ノ当該条件ヨリ著シク厳格ナリト解スルノ外ナク更ニ原審判決ニ於テハ「我国ニ於テモ再審ノ制度ヲ認ムルカ故ニ事実審理カ或場合ニ行ハレ居ルコトハ民事訴訟法第五百十五条所定ノ条件ト差異ナシ」ト認定論断スルモ外国判決ニ対スル執行判決確定後該判決ニ対シ又ハ外国ノ確定判決ニ対シテハ我国ノ民事訴訟法上ノ再審規定第四百二十条ノ適用ノ余地ナシ果シテ然ラハ原審判決ハ法律ノ解釈ヲ誤リタルカ理由齟齬又ハ不備若ハ審理不尽ノ不法アル裁判ニシテ破毀ヲ免レサルモノト信スト云ヒ

同第五点ハ尚北米合衆国ハ移民法其他ノ法制上日本人ノ入国ニ付厳重ナル制度ヲ設ケ為ニ其ノ入国カ極メテ困難ナルコトハ顕著ナル事実ニシテ国際関係カ斯ク一方的ニシテ我国民ニ対シ差別的待遇ヲ為シ即我国民ニ対シ一般的ニ相当ノ儀礼ヲ尽ササル国ナル以上北米合衆国ハ結局法制上我国民ニ対シ明ニ不公平差別的取扱ヲ為セル以上我国ト北米合衆国トノ間ニ真ノ相互主義カ行ハレ居ルモノト解シ難ク又真ノ相互主義カ行ハレ得ヘキモノトモ解シ難ク其ノ他実体法上北米合衆国内殊ニカリフオルニア州内ニ於テ我国人カ所謂東洋人トシテ各般ノ事項ニ付差別的取扱ヲ受ケ居ルコトハ顕著ナル事実ナレハ北米合衆国ハ未タ我国トノ間ニ真ノ相互ノ保証ヲ確立シ居ラサルモノト解スルヲ相当ト信スサレハ此ノ点ニ於テ原審判決ニハ法律ノ解釈ヲ誤リタル不法アリ破毀ヲ免レサルモノト信スト云ヒ

(中略)

〔判決理由〕 按スルニ民事訴訟法第二百条第四号ニ所謂相互ノ保証アルコトハ当該外国カ条約ニ依リ若ハ其ノ国内法ニ依リ我国判決ノ当否ヲ調査スルコト無クシテ右第二百条ノ規定ト等シキカ又ハ之ヨリ寛大ナル条件ノ下ニ我国ノ判決ノ効力ヲ認ムルコトトナリ居ル場合ヲ謂フモノトス原判決ハ甲第四号証ニ依リ北米合衆国ニ於ケル各州ノ判例ニ依レハ前記ノ如キ意味ニ於ケル相互ノ保証アルコトヲ審明シ本件北米合衆国当該州ノ判決ハ前記相互保証ノ要件ヲ具備スルモノト認メタルモノニシテ前記ノ証拠ニヨレハ右ノ如ク認メ得サルニ非ス北米合衆国当該州ニ付第五点第九点所論ノ如キ事情アリトスルモ又第七点所論ノ如キ規定カ北米合衆国当該州ニ存スルモノトスルモ前記ノ如キ意味ニ於ケル相互保証アリト云フノ妨トナルモノニ非ス論旨ハ総テ之ニ反スル見地ニ立脚スルモノニシテ理由ナシ(後略)

また、被告は、戦時中の判決であるという政治的要素をもち出しているが、すでに前記大審院の判決において、日本人の差別的取扱ということが問題とされており、右は戦時中の判決ということと大同小異であるというべきであるから、右大審院判決の理論は、この場合にもそのまま妥当するといえよう。

しかも世界一般の傾向はいうまでもないが、特にわが国と米国との関係は益々密接になつて行くのであり、双方が卒直に相手の裁判所の判決を尊重することが両国間の友情と実務とに益することは多大である。それは又被告のような日本の商人にも長い目で見れば利益をもたらすのである。なお日本国と米国との間の友好通商航海条約第四条第二項は次のように規定している。

「一方の締約国の国民又は会社と他方の締約国の国民又は会社との間に締結された仲裁による紛争の解決を規定する契約は、いずれの一方の締約国の領域内においても、仲裁手続のために指定された地がその領域外にあるという理由又は仲裁人のうちの一人若しくは二人以上がその締結国の国籍を有しないという理由だけでは、執行することができないものと認めてはならない。その契約に従つて正当にされた判断で、判断がされた地の法令にもとずいて確定しており、かつ、執行することができるものは、公の秩序及び善良の風俗に反しない限り、いずれの一方の締約国の管轄裁判所に提起される執行判決を求める訴に関しても既に確定しているものとみなされ、かつ、その判断についてその裁判所から執行判決の言渡をうけることができる。その言渡があつた場合には、その判断に対しては、その地でされる判断に対して与える特権及び執行の手段と同様の特権及び執行の手段を与えるものとする。米国の領域外でされる判断は、米国のいずれの州のいずれの裁判所においても、他の諸州でされる判断がうける承認と同様の限度においてのみ、承認を受けることができるものとする。」

右の規定によつて明らかなように、日本国でなされた仲裁判断ですら米国において執行判決を求めうるのである。この条約は通商の便をはかつて成立したものであり、裁判所の判決が相互に承認されることを当然の前提としているのである。

なお、被告は、判決取得についての詐欺という要件を強調しているけれども、前記大審院の判例においてもすでに問題とされたうえ、右のような判決がされているのであるから、議論の余地はない。

第三被告は原告の請求原因に対して次のように主張した。

一  原告請求原因一、二の事実は認める。

二  原告請求原因三の主張は争う。

本件判決は米国法のもとにおいても、原告のために有効な判決ということができないのである。従つて、原告のために有効な判決であることを前提として執行判決を求める本訴は理由がない。

すなわち、田中鑑定書によれば、米国連邦裁判所の手続において、当事者たる法人が解散した場合に係属中の訴訟にいかなる効果を及ぼすかについては、連邦には制定規定がなく、判例を通じてその法則を見出さなければならないのであつて、この点についてしばしば引用される判決は、連邦最高裁判所のオクラホマ・ナチユラル・ガス会社対オクラホマ事件(一九二七年、Oklahoma Natural Gas Co. v. Oklahoma 273 U.S. 257, 71 L. ed. 634, 以下オクラホマ事件という。)であつて、その要旨は(イ)法人が解散した場合には、制定法に別段の規定――解散後少くとも訴訟をする目的のために法人格が存続する旨の規定――がない限り、その法人が当事者(原告であると、被告であるとを問わない。)であるすべての訴訟は消滅する(abate )。(ロ)そして、その別段の規定をすべき制定法とは、その法人の設立された国(又は州)の制定法、すなわち、その法人設立の準拠法国の制定法である、というのであるが、この趣旨は、判例においても、学説においても、くり返されているところであつて海事事件においても法則を異にしない、ということが明らかにされているから、被告はこれを援用する。

これに対し、原告は種々の観点から右の法則に対する反論を主張しているので、以下その反論の理由がないことを明らかにする。

(一)  原告は、本件米国判決の有効無効は本来本件において論ずべき問題ではない、と主張している(原告主張四の(一))。

しかしながら、右の見解は、外国の行政上の意思表示とその司法裁判とが性格を全く異にする点を看過したものである。民事裁判は私人の紛争を解決するための国家の意思の表明ではあるが、実体上も手続上も法律に従つて行わなければならない。従つて法律に違背した場合にそれが無効となりうることは、当初から裁判に内在する性格である、といわなければならない。しかして外国の裁判が当然無効である場合には、その国の裁判所に不服申立をしてこれを取り消してもらうまでもなく、何人もその無効を主張することができるのであるから、日本の裁判所が裁判の必要上その有効無効を審査することは、何ら国際礼譲に反しないし、又権限を超えるものではない。

本件において当裁判所が米国判決の有効無効を論ずることは、米国裁判所の上訴裁判所のような立場においてこれを取り消したり又は無効を有権的に確認するものではない。

元来外国裁判所の確定判決は、民事訴訟法第二百条の要件を具備する場合に、我国の確定判決と同一の効力が認められるのであるが、この効力のうち、執行力は既判力のように観念的でなく現実的であるので特に慎重を期して、あらかじめ訴をもつてその執行力を主張させ、民事訴訟法第五百十五条の要件を審査したうえで執行判決を与えるのである。しかして執行判決を求める訴の性質については、確認訴訟説と形成訴訟説とが行われているが、そのいずれによるにしても、右外国判決が既判力(実体的確定力)を有することを前提として、これに執行力を確認又は形成するものであることは争いがないのである。従つて、既判力の存在すなわち判決の有効性は、執行判決を与えるための第一の前提といわなければならない。

けだし、判決をした国で既判力を認められず、しかも執行力もない無効の判決に対し、我が国法上の既判力を認め、執行を許すような不合理が許される道理はない。

たゞ一般の場合に外国判決が当然無効であるというような事態はまれであり、従つて執行判決事件においてこの問題が審理の対象となる事例も少く、或は外国判決は有効であるとの一応の事実上の推定が認められるかもしれない。しかしながら被告が判決無効の抗弁を提出し、かつこれを立証した場合には、執行判決の第一要件である外国判決の有効性の要件の欠如(有効性の立証の不存在)を理由として請求を棄却せらるべきものと信ずる。

要するに、執行判決事件において外国判決の有効無効を論ずるのは、右判決の無効を宣言したりこれを確認する性質のものではなく、右の訴を許容するがための要件の存否を判断するものであつて、当然日本国の裁判所の権限に属するものである。

(二)  原告は、裁判の終局性という観点から、裁判の当然無効ということは原理的に認められない、と主張している(原告主張四の(二))。

しかしながら、ローマ法及びドイツ普通法において判決の当然無効の制度が存したことは明らかであり(雉本朗造、民事訴訟法の諸問題二百七十五頁以下、中田淳一、京大訣別記念論文集五百二十一頁以下参照)、我が国の訴訟法においても、判決の不存在(非判決)や瑕疵ある判決とは別の観念として「内容的に無効な判決」を認める学者が多いのである(前掲のほか、兼子一、民事訴訟法体系三百三十三頁)。それは訴訟手続上は判決として有効に存在し、上訴の対象になり、その確定によつて訴訟を終了させる点において非判決と異なる。又それは確定しても判決の内容上の効力たる既判力や執行力を生ぜず、その無効は上訴の方法によらないでも抗弁や再抗弁の方法で主張できる当然かつ絶対の無効である点において、瑕疵ある判決とも異なるもの、とされているのである。

また、原告は、本件の場合に米国判決を無効と認めることにいかなる利益があるのか、と反問しているけれども、利益の存否を問題とする余地はない。けだし本件米国判決の有効無効は純然たる米国法上の法理の問題であつて、利益衡量の問題ではなく、外国判決の有効であることが、これに対し執行判決を与えるための第一の前提であるからである。

(三)  また、原告は、本件米国判決は海事事件の判決であることを理由とし、普通法の原則を適用することについて疑問を提出している(原告主張四の(三))。

しかしながら、本件米国判決が海事事件の判決であるからといつて直ちに普通法の原則が排除されるものと解せられるべきではない。

原告はアメリカン事件を援用しているけれども、コーパスジユーリス・セクンダム(Corpus Juris Secundum )のうち原告の引用している部分にはそのような記載があるが、この引用部分はアメリカン事件の真意を伝えているものではない。すなわち、右事件の原告はデラウエヤ州の法律によつて設立された法人であるが、そのデラウエヤ州会社法第四十条には法人解散の場合の規定があり、法人が事件の係属中に解散した場合には、その事件の審理が完了するまで訴訟を継続することができることになつている、という特殊事情が存するのである。このような特殊事情のない場合まで原告主張の法理を拡張すべきでない。しかも、甲会社の設立準拠法であるベルギー会社法にはそのような規定はないのである。

このアメリカン事件についてなお詳論するならば、事案の概要は次のとおりである。

一九一七年六月十七日デラウエヤ州法により設立された法人である原告は、被告に対し、海上輸送契約違反の責任を問う、海事事件対人訴訟(Libel in personam )を提起した。被告は一九一九年十一月十七日訴答し、一九二二年一月十三日、原告に対し反対訴訟を提起した。

原告がこの反対訴訟に訴答した結果、裁判所は事件の審理を一九二五年十月十六日に予定した。他方、原告会社は、一九二一年五月二十一日解散し、その解散は同年六月三日有効となつた。

これを知つた被告は、原告会社は解散法人であるから訴訟を継続することはできない、裁判所は、原告の訴訟を却下せられるべき旨の動議を提出した。

当時のデラウエヤ州会社法第四十条によれば、会社はその解散後三年間は、会社に帰属する債権を取り立てるための訴訟を継続することができることになつていた。従つて、本件における訴訟継続期間は一九二四年六月三日までであり、被告がさきの動議を提出する以前に経過してしまつていたのである。

この被告の動議に関し、原告会社の取締役らは、裁判所に対し、解散した会社の代りに、原告として、又は反対訴訟における被告として出廷することを許可する仮命令を求めた。裁判所は、一九二七年九月に、被告の動議を取り上げ、原告の仮命令の請求を却下した。

原告会社の株主の一人はデラウエヤ衡平法裁判所に対し、右の取締役らを、デラウエヤ州会社法第四十三条の規定によつて解散した会社の受託者に任命するよう申請した。

同裁判所は、一九二七年十一月二十日これを許可し、解散会社の受託者に任命した。

受託者らは、一九二七年十二月二日、再び原告或は反対訴訟の被告として、解散した原告会社の提起した訴訟に参加し、これを継続することを許可する仮命令の発給を裁判所に申請したが、裁判所は、再びこの申請を却下したので、原告が控訴したのが問題の訴訟である。

そしてこの間において、一九二五年前記デラウエヤ州会社法第四十条は改正され、会社は、その解散後三年以内に事件を提起するか、または、事件の係属中に解散した場合には、その事件の審理が完了するに至るまで訴訟を継続できると改められ、さらに同法第四十三条では、衡平法裁判所は、解散会社の取締役を、会社又は他の名前で、解散会社の提起した訴訟を継続させる目的をもつて、会社の受託者に任命することができると規定されている。従つて、原告の控訴が理由があるかどうかは、一九二五年の改正法の規定が、一九二一年に解散した本件の原告会社に遡及して適用されるかどうかに関する裁判所の判断にかゝつていたわけである。

本件を審理した米国連邦第二巡回区控訴裁判所のラーニツド・ハント判事は、これを積極に解して第一審の判決を破棄し、取締役を当事者とする訴訟を再び継続させるべく、本案の審理を第一審裁判所に差し戻した。判決の要旨は次のとおりである。「本案において、コンモンロー又は衡平法の問題を考えるのは不必要である。なぜなら、原告会社の取締役らは、デラウエヤ州会社法改正第四十条及び第四十三条の規定により、当然原告会社の解散後も、その解散前に提起された訴訟を継続することを認められているからである。従つて、本件において原告の訴権(causeof action)又は当事者としての資格が、原告会社の解散後も存続する(survine )ことは疑いの余地はない。」

さらに原告は、海事事件の対物訴訟(Libel in rem)は当事者の死亡によつて消滅(abate )しないことをもつて、本件の場合にも類推すべきことを主張するようであるが、自然人である当事者死亡の場合の法則を本件のような法人解散の場合に適用できるという説は、米国学界の多数説の反対するところであつて誤りである。

しかも、本件の米国裁判所における訴訟は少くとも本件被告三菱商事株式会社に関する限りでは海事事件の対物訴訟ではない。すなわち、本件米国法廷における訴訟の経緯を摘記すれば次のとおりである。

甲会社は一九四〇年十一月二十二日、カルフオルニヤ州南部地区中央分区の米国連邦地方裁判所において、被告日本法人三菱商事株式会社(以下三菱という。)及び三菱のために、一九四〇年十月二日カリフオルニヤ州サンドロ港において、ベルギータンカー船ローレント・ミユーズ号に船積された、カルフオルニヤ法人ジエネラル・ペトーリウム株式会社(以下所有者という。)の所有するデイーゼル油(積荷)に対して、一九四〇年九月二十一日、船主たる甲会社及び傭船者三菱との間に締結された傭船契約の約定にもとずき、傭船料の支払を請求する訴訟を提起した。

被告たるデイーゼル油は、海事事件手続による対物執行手続(process in rem)によつて裁判所の管理下に移された。そこで右積荷の所有者ジエネラル・ペトーリウム株式会社は執行手続に参加し、積荷に対する甲会社の請求を争つた。

さらに、所有者は、積荷に対する甲会社の請求額六万四千ドルの支払を保証するため、ローヤル・インデムニイテイ株式会社(以下ローヤルという。)及びハートホード・アクシデント・インデムニイテイ株式会社(以下ハートホードという。)を引受人とする、裁判(判決)支払保証証書(stipulation, 以下保証書という。)を裁判所に提出し、その占有を所有者に委ねるよう申請した。裁判所は右保証書を受理し、積荷の占有を所有者に移した。

連邦地方裁判所は一九四二年四月十日、甲会社勝訴の判決を下し、三菱に対しては、九万二千二百七十九ドル五十九セントの傭船料の支払を命じた。但し、この金額の中には保証書によつて保証された六万四千ドルも含まれている。従つて、支払を命じたのは実際には、所有者及びローヤルに対する六万四千ドル、三菱に対する二万八千二百七十九ドル五十九セント及びハートホードに対する諸経費(costs and expenses)の各支払の三つの命令から構成されていたものと考えられる。

この判決に対し、三菱、所有者、ローヤル及びハートホードの四法人は、甲会社を相手として米国連邦第九巡回地区控訴裁判所に控訴した。控訴裁判所は、第一審判決を一部修正のうえ確認し、同じ当事者による上告は、一九四三年、米国連邦最高裁判所によつて却下された。

右の経過によれば、三菱に対する請求は、当初から傭船契約上の債務の履行を請求する純然たる対人訴訟であつて、前記積荷(デイーゼル油)に対する対物訴訟とは全く種類を異にする。しかも右のように当初対物訴訟であつた積荷に対する請求も、その後に至り、積荷の所有者が、インデムニテイ及びハートホードを引受人とする保証書を裁判所へ提出した結果、裁判所は右積荷の管理の解放を命じたので、甲会社は対物訴訟の要件である積荷の占有を失い、この時をもつて甲会社の被告に対する請求権は(三菱以外の関係でも)対物訴訟から対人訴訟に変つたのである。

従つて、前記自然人死亡の場合の原則が法人解散の場合に類推適用の余地がない点を別としても、右の原則は海事対物訴訟でない三菱を被告とする本訴の部分には適用の余地がないのである。

(四)  原告は、本件についてベルギー民事訴訟法の規定が適用されるから、普通法の原則の適用は排除せられるべき旨を主張する(原告主張四の(四))。

しかしながら、ベルギー民事訴訟法第三百四十二条等の規定を原告主張のような趣旨に解すべきかは、問題であるのみならず、そのように解すべきものとしても、これが米国判例にいう「別段の制定規定」に該当するとは考えられない。

先ずベルギー民事訴訟法第三百四十二条等の趣旨についてみるに、原告はベルギー民事訴訟法第三百四十二条、同第三百四十三条を引用し、右規定が前記米国法にいわゆる「別段の制定法規」に該当するものである旨を主張しているところ、第三百四十二条の規定は原告の訳文によれば「準備のできた事件の判決は、当事者の地位の変更によつても、訴訟を追行している資格の喪失によつても、死亡によつても、代理人の死亡、辞任、禁治産又は解任によつても、延期されない。」という文言であるが、この法文と原告提出の資料(甲第七ないし第十号証)をもつてしては、右規定の規範内容が正確にいかなるものか明確ではない。換言すれば、かりに本件と同様の当事者の変更がベルギー国の裁判所に訴訟係属中に起きたとして、右訴訟がいかなる取扱をうけるかが明確ではない。

詳言すれば、原告の右引用条文が本件に対して意味あるものとして取り上げられるためには、まず次の各点が明らかにされなければならない。すなわち右規定が法人解散の場合にも適用のあることだけは明らかにされているが(甲第八号証第四十二項)、(イ)「準備のできた事件」の意味が明らかではない(この点に関する甲第八号証中第四十一項と第三十三項とは矛盾するように感ぜられる。)。(ロ)「準備のできた事件の判決は、ヽヽヽヽ延期されない。」とはいかなる意味であるか。(ハ)ベルギー民事訴訟法第三百四十二条の規定は訴訟代理人の存在を前提とする規定であるように感ぜられるのであるが(甲第八号証第四十一項)、同国には弁護士強制主義が行われているのか、又は右規定は訴訟代理人のある場合に限つて適用される趣旨であるのか。(ニ)もし然りとすれば、右の規定は我が民事訴訟法第二百十三条と略同様の趣旨のものと解してよいのか。(ホ)ベルギー法の規定に従つて言い渡された判決を執行する場合には、特別の承継手続を必要とするのか、等である。

これらの点が明白にされて始めて、右ベルギー法の規定が米国法理のいわゆる「別段の規定」と認めることができるかどうかの問題に立ち入ることができる順序となるのである。

そこで右の規定の趣旨が、原告のいうように「ベルギー法によれば甲会社は解散しなかつたものの如く訴訟を進行し、その名において判決がなされる。」というところにあるとしても、右規定をもつて米国法理にいう「別段の規定」とは認め難いのである。

すなわち、田中鑑定書によれば、米国法における法人解散の場合の法則は次のとおりである。「当事者たる法人が解散の場合には、係属中の訴訟は消滅する。もつともその法人の設立された国に、解散後も法人格が(例えば一定期間、又は清算の目的の範囲内において)存続するという制定法規があれば、その法人格存続中は訴訟は消滅せず、訴訟をそのまゝその法人の名において進行することができる(鑑定書鑑定事項第三のうち鑑定の結果三、)。」というのであり、さらに、右制定法規の態様については、「今日においては、法人解散後も一定の目的のため又は一定の期間法人格が存続する、という制定規定があるのが通例である。アメリカにおけるかゝる制定規定の態様につき、ホルンシユタイン(Hornstein )は三つの型があるといつている。第一は一定の期間を限定せずに、清算の目的の範囲内で法人格が存続するとするものであり、第二は、例えば解散後二年というように、一定期間を限つて、解散前又は右期間内に開始された訴訟については終局判決があるまで法人格を存続するとするものであり、第三は、一定期間を限るのみで、その期間内に開始された訴訟ならば終局判決まで追行することができる旨の明文のない場合であつて、この場合には、その一定の期間内に終結していない訴訟は消滅すると、判決されているというのである。」と説いておられる(鑑定書鑑定事項第三のうち鑑定の結果三に対する説明四(2) )。

要するに、米国法におけるいわゆる「別段の制定法規」は、法人の設立された国の制定法規であつて、解散後も法人格が存続する旨を規定したものを指すのである。右の趣旨は前記オクラホマ事件の判決(鑑定書鑑定事項第三のうち注十七)の後半を一読すれば直ちに納得しうるところである。すなわち「しかしながら法人は特定の目的のために存在するものであり、立法行為によつてのみ存在するものである。従つて、法人の生命が訴訟の目的にのみ存続すべきものとされる場合にも、かゝる延長のためには何らかの制定法上の根拠が必要である。この問題は実に手続上の問題ではなく、又訴訟が係属している裁判所の規定が左右しうる問題でもない。それは法人を成立させた国の立法に係わる法人法の根本原則である。」なお、同趣旨はニユーヨーク州南部地区米国連邦地方裁判所のチヤールス・ワルダー他数名対パラマウント・パブリツクス・コーポレーシヨン他数名事件(一九五五年、Charles Walder et al. v. paramount Publix Corpolation et al, 132 F. Supp. 912 )の判決においても明らかにされているところである。すなわち、「コンモン・ローにおいては、法人の解散は個人の死亡に類比すべきものであつて、係属中の一切の訴訟は消滅し、新たな訴訟は提起できなくなる。しかしながら、解散法規(disolution statute)によつて、人為的に法人の存在を一定の期間継続せしめ、右法人が自己の名義又は受託者名義で訴訟を提起又は継続することを許容することができる。法人解散の条件は、『手続上の問題ではなく、又訴訟の係属している裁判所の規則が左右しうる問題でもない。』。むしろそれは法人設立地法がすべてを決定する問題である。」というのである。

右の「解散法規」の性格は法理的にも裏付けうるところである。すなわち、法人は自然人と異なり、設立準拠法によつて法人格を与えられ、法人格の範囲も存続限度も設立準拠法によつて決定されているのである。従つて、右の設立準拠法は法人の属人法として、右法人のある所に従つて適用される実体法の性格を有するものである。これに反して原告の引用するベルギー民事訴訟法の規定のような手続法は、その国で手続が行われる場合にのみ適用のある属地法であつて、右に述べた属人法たる実体法(法人法)とは根本的に性格を異にし、従つて「解散法規」とは認めえないのである。

原告は右ベルギー民事訴訟法の規定の効力として、反射的に法人格が延長されたように取り扱われると弁明しているが、仮りにベルギー国の法廷においてそのような取扱をうけることが事実であるとしても、それは法人格に内在する属人的な法人格の特性から生ずるものではなく、ベルギー民事訴訟法の便宜的手続の結果に他ならぬもので、「解散法規」とはその性格を異にしている。従つて、ベルギー民事訴訟法の適用のない米国の法廷においては通用しない議論である。

要するに、ベルギー民事訴訟法の規定は米国法上の「解散法規」には該当しないのであつて、ベルギー法のうちにこれに該当すべきものを求めるとすれば、田中鑑定書の指摘するように(鑑定書鑑定事項第三、鑑定の結果七に対する説明、九、)、ベルギー商法会社編第百七十八条第一項の規定(「商事会社は、解散後もなお清算の目的のために存続する。」)をおいて外にはないのである。

原告は、ベルギー民事訴訟法の規定が米国法上「解散法規」に該当するものであると主張するために二三の附随的な根拠をあげているが、いずれも誤つた議論である。

先ず、原告は、田中鑑定書中において、訴訟係属中当事者たる法人が合併した場合の法則を説いている部分中「法人解散の場合につき、訴訟が消滅するとかしないとかいうのは、その解散法人の名において訴訟を続行することができるか否かの問題である。」(鑑定事項第三、鑑定の結果三に対する説明五の(4) )との文章を引用し、「本件においても判決が甲会社の名においてなされたことが結果的に正当であればよいのであつて、甲会社の法人格の存続は直接の問題ではない。すなわち、法人格の存続の規定があれば、その名における訴訟追行ができると解しえられるが、又別に訴訟追行の可能性が直接に規定されていれば、それでもよいのである。そしてこゝに述べたベルギー法の規定は正にその後者の訴訟追行の可能性を示している。」と主張しているが、被告は右の主張における二つの誤謬を指摘したい。

第一に、原告は前記田中鑑定書からの引用部分の趣旨を誤読している。右の部分で鑑定書が述べている真意は明らかに次のとおりである。すなわち、合併による消滅法人の場合には係属中の訴訟は消滅しないのであるが、問題は訴訟を消滅法人の名において進行できるのであるか又は存続法人(新設法人を含む)がこれに交代しなければならないかの点である。田中鑑定書はこれについて前者すなわち交代の必要なしとの断案を下しており、その根拠を説明する方法として解散の場合との比較を試み、解散の場合に訴訟が消滅するか否かを問題にしている意味は、当事者の交代なしに(法人格消滅以前に権利承継者が訴訟を承継していない場合をさす。)訴訟が継続するか否かの点であるから、同じく法人格を失うべき合併による消滅法人の場合に訴訟が継続できるという意味は、その消滅法人の名において(当事者の交代なしに)訴訟が続行できる趣旨と解すべきであるとされているのである。要するに右引用部分の重点は「その消滅法人の名において」にあるのである。

第二に、原告は米国法にいう「解散法規」の性格を理解しないか、又は強いてこれを不当に拡張しているものである。右米国法の法則は、明らかに法人格の存続を直接の問題とし、それが存続する場合に限り、訴訟続行の可能性を認める、という趣旨である。原告は、その引用するベルギー民事訴訟法のように、訴訟追行の可能性を直接規定した規定があればそれでもよいと主張しているが、もし米国の民事訴訟法にそのような規定があれば、当初から右解散法規の法則に取り上げる必要はない。しかるに前述のように右ベルギー法規は米国の訴訟手続には適用の余地なく、米国民事訴訟法においてはこれに類する法則がないからこそ、前記解散の場合の法則が認められているのである。

次に、原告は、米国の訴訟手続においては、法人設立国の法律につき実体法と手続法とを区別していないと独断しているが、前記オクラホマ事件及びワルダー事件の判決を一読すれば、この場合に法人設立国の法律というのが、法人の属人法である実体法(法人法)のみをさすことは疑の余地がないのであつて、実体法と手続法とは明らかに区別されている。

さらに、原告は、ニユーヨーク、ストツク、コーポレーシヨン法第九十条を引用して、日本法流にいえば訴訟法に属すべき事柄であるとしている。右の法規が法人の訴訟に関する事柄を規定したものであることは事実であるが、法人法たる右制定法の規定としては、合併の場合における消滅会社の実体法上の権利能力及び行為能力を規定したものと解するのが日本法流にいつても正しいのではあるまいか。少くとも米国法流に言つて右のように解釈しなければならないことは、田中鑑定書が引用しているエヂソン、エレクトリツクライト会社対ウエスチングハウス事件(一八八七年)の判決(鑑定事項第三の注二十七)のうちの前記ニユーヨーク州会社法の規定の性格に言及した部分を一読すれば、疑いのないところである。すなわち、「問題は単なる実体上の規則以上の何物かを含んでいると認められる。それは法人設立の準拠法となり、又同一州の他の法人と合併するについての条項及び条件を規定した州法に基く原告の普通法上及び衡平法上の権利を含むものである。」と。

一方前記ベルギー法の規定は、形式上民事訴訟法の規定であるのみならず、実質的にみても、特に法人の人格又は能力を規定したものではなく、ベルギー国における訴訟手続運営の便宜のために設けられた純然たる手続規定であると断定して大過なしと信ずる。

右ベルギー法の法規とその目的及び性格において類似の規定を我が民事訴訟法中に求めれば、第二百十三条の規定すなわち訴訟代理人がある間は訴訟手続の中断の規定を適用しない旨の規定であろう。そしてこの場合、訴訟代理人は、形式上旧当事者の代理人として訴訟手続を追行するのであるが、実質的には新当事者の代理人と認むべきものであるとするのが、我が国の通説であり、判例である。換言すれば、右の規定は、単に訴訟の促進と円滑を図るための便宜規定であつて、毫も旧当事者の人格の延長を認める趣旨ではない。ベルギー法の前記規定についていかなる法律的構成が行われているか明らかでないが、恐らく右に類する説明を採用するのほか、法理的な説明はできないであろうと推測される。しからば、右規定をもつて米国法にいわゆる解散法規と認められないことは、多言を要しない。

原告は、さらに、米国法のいわゆる解散法規の適用がある場合に、日本法流の観念的な法人格がその延長期間中及び期間後どうなるか、特に取締役が訴訟を引き受けるときの法律的構成が必ずしも明らかでない、と田中鑑定書を論難している。ここに、原告のいう日本法流の観念的な法人格とは何をさすのか明らかでないが、少くとも田中鑑定書は、解散法規の規定内容に従つて、その認める限度まで法人格が存続し、その限度を超えるときは消滅する、と解しているのである(鑑定書鑑定事項第三、鑑定の結果三に対する説明四(2) )。

(五)  原告は、本件権利義務の移転に対して、米国連邦民事訴訟規則第二十五条(C)の「利益の移転」(transfer of interest)の場合の法則の適用を主張し、田中鑑定書を非難しているが、その非難はいずれも理由がない(原告主張四の(五))。

先ず、原告は、田中鑑定書が、マクコウム事件を引用し、右事件においては「利益の移転」に該当することが認められたにもかゝわらず、右事案に類似する本件について、前記(C)項の適用を排斥したのは当らない、と非難している。しかしながら、右判例の事案と本件の事案とはその内容を異にし、その相違の結果として本件の事案の場合には前記(C)項を適用する余地がないのであつて、原告の非難は理由がない。

すなわち、田中鑑定書(鑑定事項第三、鑑定の結果七に対する説明、一一)によれば、右のマクコウム事件の内容は次のとおりである。この事件ではマクコウムが労働基準局の公務員としてロウ会社(Row Co. )を訴えたところ、原告敗訴の第一審判決があり、原告が控訴を提起した後に、ブウス、ケリー、ラムバー会社(Booth-Kelly Lumber Co.)が従来ロウ会社の株式の四九、八パーセントを所有していたが、残りの株式をも買い入れてロウ会社の全株式を所有するに至り、同会社を解散して、その全財産を手に入れた。そして被告は解散を理由に控訴の却下を申し立て、原告はブース、ケリー会社を当事者としてロウ会社に交代させることを求める申立をした。この場合右解散会社の設立された州であるオレゴン州の制定法によれば、会社は解散後も五年間は、その過去の業務から生じた訴訟を追行するために、なお法人格を有する旨規定されていた。この事案に対して、裁判所は、被告会社は訴訟を追行する権能を有するとして、控訴を却下することを拒否し、又当事者の交代について、連邦民事訴訟規則第二十五条(C)項の規定によれば、当事者の交代を許すか否かは裁判所の裁量によるものであるので、裁量権を用いて当事者の交代を許さない、と判決した。

この判決からみると、本件の場合にも、連邦民事訴訟規則第二十五条(C)項の適用があるのではないかとの疑が生ずる。しかしながら、注意しなければならないのは、右マクコウム事件においては、問題になつた時は解散から五年以内であつて、解散会社がなお自ら訴訟を続行する権能を有していた(少くともその限りにおいては法人格は存続していた)のに反し、本件においては、解散当日に清算が結了して、法人格が完全に消滅してしまつた後に、問題の判決がなされていることである。右規則第二十五条(C)項は、裁判所が当事者の交代を命じない限り、原当事者がそのまゝ訴訟を続行することを認めているのであつて、このことは、同条項がその適用が問題となる時点において、原当事者がなお訴訟を追行する権能(少くともその限りにおいての人格を有していることを同条項適用の前提としているものであることを示すのである。自然人が死亡してその全財産がその人格代表者に帰属する場合においては(同条(A)項が適用されるべく)同条(C)項は適用されないのと同様に、本件の如く、解散会社の清算が結了して法人格が完全に消滅してしまつた場合は第二十五条(C)項の適用がないのである。

さらに原告は「本件の場合を素直に観察すれば、正しく利益の移転そのものと言うことができる」と主張している。もとより、素朴な前法律的な考察としては、確かに利益の移転があつたといつて誤りはないのであるが、こゝに問題にしているのは連邦民事訴訟規則第二十五条(C)項に規定されている厳格な法律的概念であるところ、本件ではかゝる概念としての「利益の移転」に該当するものは存在しない。

(六)  原告は、一方において本件権利義務の移転が合併によるものではないことを容認しながら、他方において合併の場合の法理は本件の場合に類推せられるべきことを主張している(原告主張四の(六))。

しかし、本件の甲会社から原告への権利義務の移転がいかなる法律要件にもとずくものであるかについて、田中鑑定書はあらゆる角度から詳細な検討を加え、それが合併とみるべきでなく、解散とみるべきことを確定しているのである(鑑定書鑑定事項第三、鑑定の結果一に対する説明、一)。すなわち、右によれば、すでに請求原因二において明らかなように、本件における甲会社は解散(合併の結果としての解散でなく、普通の解散)によつて消滅したのである(なお、右のうちには「その存在を停止し」との記載があるが、これは後に復活する意味における停止ではなくて、止めてしまう意味であるし、さらに、ベルギー商法に関する著書 Van Ryn, Tean; Principes des Droit Commercial, Tome Premier 1954 中のNo. 315(p. 219)及びNo. 344(p. 241)にもこれを裏書するように、「株式会社の全株式が一人の株主の手に帰属するに至つた場合については、制定規定はないが、判例によつて、その会社が法律上当然に解散することが確定している。」旨が述べられている。」換言すれば、甲会社は解散し、(dissolution)その結果として、甲会社の一切の権利義務が原告会社に帰属した(但し、原告会社はその承継した債務にいては、承継した財産を限度として責任を負うのみである。)のであつて、甲会社の一切の権利義務が原告会社に帰属したとはいえ、甲会社が原告会社に合併(adsorption)されたのではない。このことは、甲会社の一切の株式を手に入れた者が会社ではなく、自然人である場合にも、同様に甲会社の一切の権利義務がその自然人に帰属するものであることに思いを致せば――その場合にそれが合併でないことは、いうをまたない――明らかである。そして株主が複数の場合には、普通の清算(すなわち、債権の取立、債務の弁済及び残余財産の分配)を行うのであるが、株主が一人のため、一切の権利義務の移転という方法で清算が行われたのである。

原告は、本件においては事実上何らの清算も行われていない旨を指摘しているけれども、本件においても清算が全然行われてなかつたわけではなく、たゞ清算手続が事実上簡単であつたというに止まるから、前記結論を左右するものではない。

また原告は、訴訟が係属している以上清算は結了する筈がない、と主張しているけれども、田中鑑定書において、すでに明らかにされているように鑑定事項第三、鑑定の結果七に対する説明一〇)、この問題は、本件においてはベルギー法上の問題であるが、通常の清算の場合のように、債権の取立、債務の弁済をなし、その残余財産を分配することを要する場合には、解散法人が訴によつて請求している債権の運命が確定しないうちは、たとえ清算結了の登記があるも、なおその関係においては清算は結了せず、その限りにおいて法人格は消滅しないといえるかもしれないが、本件のように、「(原告)は、慣例の所有権の移転を要せず、(甲)会社の法人格の消滅という事実のみにより、(甲)会社の一切の財産の唯一の所有者とな(る)」(甲第二号証参照)という場合においては、甲会社が訴によつて請求している債権も、甲会社の法人格消滅と同時に原告に帰属するのであるから、その訴訟がなお係属中であつても、清算が結了したものとしてその登記をした以上、法人格は完全に消滅するのである。

原告はさらに、本件権利義務移転の結果として原告が承継した債務については、承継した財産を限度として責任を負うのみであるからといつて、右の権利移転を合併によるものであると認める障害とはならないし、責任に限度をもたせる合併が法律上ありえないものではない。と強弁しているけれども、合併の本質は二個以上の会社が人格を合一化することすなわち人格合併とみるのが各国共通の観念であつて、無限の責任承継という点を合併の 表から除外することはできない。

三  請求原因五の主張のうち相互の保証の要件が充されている、との主張は否認する。

すなわち、わが民事訴訟法第二百条第四号にいう「相互ノ保証アルコト」の要件を充すためには、(イ)国際的義務の存在、(ロ)判決効力の承認の同質、(ハ)承認条件の同一の三個の要件を必要とするものであつて、原告の援用する田中鑑定書の見解には承服しかねる。以下右の三点について被告の見解を明らかにする。

先ず第一に、国際的義務の存在の点である。本来相互保証という以上、国家間の明示的又は黙示的協定が存するか或は国際慣習法が存するのでなければ、真の相互保証ありといえないこと当然である。しかるに日米間において外交上相互保証の取り極めの存しないことは何人も知るところである。しかも、米国における外国判決の承認に関する主義は、外国の相互主義をとるものではなく、むしろ外国が自国の判決を承認するかどうか、又承認する場合にいかなる条件のもとにこれを行うかの事実とは無関係に、自国の独自の基準を設定し、ひとえにこれのみに基いて承認の許否を決定することを建前としている。従つて論理的には、相互保証とは相反する立場をとり、自国の裁判権の自主性を維持し、外国との相互的関係によつて、なんら拘束をうけないことを根本思想としている。故に日米間には相互保証ありと断定する余地がないと信ずる。

もつとも、わが民事訴訟法第二百条にいう相互保証の意味について、前記のような厳格な概念に該当する場合のほかに、これに準ずる場合を包含せしむべしとする学説の存することは事実であつて、前記のような国際間の義務が存しないでも、両国の国内法上の外国判決承認の条件が偶然に同一であれば、事実上相互保証ある場合と同一の結果を期待できるから、この場合も相互保証ある場合に準じて同様に取り扱うべきである、というのである(相手国の承認条件が自国のそれより寛大な場合も、自国の立場からすれば相互保証と同様又はこれより有利であるとする。)しかし、前記相互保証の固有の概念における「法律上の拘束」に代えるに、単なる「事実上の期待」をもつてすることは甚だ危険な拡張解釈であるといわなければならない。又かりにかゝる拡張解釈を許すとしても、右事実上の期待が法律上の拘束力ある場合とほゞ同様の確実性を伴う場合に限らなければならないのは当然の事柄である。現に兼子教授が、「その国との間の条約上の保証は必要ではないが、単に法律上同様な立前になつているというだけでは足りず、具体的な実例はなくても実際上も承認するであろうと期待できる状態になければならない。」(条解民事訴訟法II一四〇頁)と説いているのはこの趣旨と解せられる。

右の観点から本件の場合に相互保証ありや否やを断定するについてさらに考慮すべき点を挙げれば次のとおりである。すなわち、本来米国のような判例法の国において、国内法上の外国判決承認の条件を概括的かつ固定的に立論することは甚だ困難であり、かつ危険を伴うものであるが、特に重大な点は、本件判決が戦時中において、敵国人を被告として敗訴せしめているものであるという特異性である。すなわち、米国における外国判決承認の条件を論ずるについても、特に戦時において米国の敵国裁判所が米国市民を被告として下した判決に対して、米国裁判所が田中鑑定書にあるような基準に従つてその効力を(わが国民事訴訟による執行判決と同様の意味によつて)承認する確実な期待が実際上もたれるかどうかの点を慎重に考慮しなければならない。

なんとなれば前述のように、両国の外国判決の効力を承認するについての実際の取扱がほゞ一致している場合においては、事実上において、真に相互保証が存する場合と同様の結果が実現されるという期待がもてるという理由で相互保証に準ずる取り扱いがされるものとみるべきであるから、かゝる期待が極めて明確かつ確実でなければ、かゝる取扱いはできなくなる。そしてこのような期待がもてるかどうかは、あらゆる事件について一律にしかも一般的に決定することができるとは限らないのであつて、時には個々の事件の個性と特殊事情とを充分に参酌して緻密に検討しなければならないからである。

本件の原判決は第二次大戦中に言渡されたものであつて、当時日本国の商社である被告は証拠の蒐集、整理、提出、法律上事実上の各種訴訟行為において事実上殆んどその活動を封ぜられていた。

他面、米国連邦裁判所が外国判決の効力を認めるには、その外国と米国との間に礼譲関係(comity)が存しなければならないことはすでにヒルトン事件において示されているところであるが、宣戦布告があり現実に交戦状態がある場合は右礼譲関係の存在しない、もつとも顕著な場合であるから、日米交戦中である一九四二年四月十日に言渡された本件判決に関していえば、当時日本国の裁判所が米国人の被告に対して敗訴を言渡した判決は、右の法理によつて米国においてその効力を認められる可能性がない、というべく、従つて、この点からも、相互の保証がある、とはいえないのである。

さらにもう一点、相互保証があるかどうかについて考慮すべき点は、判例法の特質たる流動性である。すなわち、かりに現在において前述のような強い期待が実際上待たれうるとしても、将来右の期待が変化する危険がないかどうかの問題である。この点は前記のような相互保証概念の拡張解釈の限度問題について、成文法の国に関する場合に比較して一層慎重に考慮すべきものと信ずる。

原告は、昭和八年十二月八日の大審院判決(昭和八年(オ)第二二九号)の一部を援用して、相互保証の問題は二十五年も前に解決ずみのことであると論じている。しかしながらこの判決が相互保証の概念を正解せず、必要な審理を尽さなかつた判例であつて、これによつて相互保証問題が解決ずみであるといゝえないことは、次に引用する井野英一氏(当時大審院判事)の所説(岩波法律学辞典二巻八七一頁以下)のとおりである。すなわち右によれば「民事訴訟法第二百条第四号は相互の保証あることを条件としている。相互保証はドイツ民事訴訟法第三百二十八条第一項第五号の解釈としても極めて厳格に考えられており、両国の法文のみならず、裁判所の実際の取扱をも考慮すべきものとせられている。ドイツで特別の条約のある場合のほか、相互保証の認められているのは、ダンチツヒ、デンマーク、スペイン、エジプト、ブラジル(チエコスロバキヤ、メーメルランドはある程度)にすぎないとせられている。わが大審院第五部(大判昭和八年十二月五日)は、民事訴訟法第二百条にいわゆる相互の保証あることは当該外国が条約によりもしくはその国の国内法によつてわが国判決の当否を調査することなく、第二百条の規定と等しいか又はこれより寛かな条件のもとに、わが国の判決の効力を認めることになつている場合をいうものであると判示し、なお、米国カルフオニア州は、判例によればかゝる保証を有するものである、と裁判した。保証を有するか否かは判決をなす当時における事実認定の問題である。判例によるべきものではないと考える。右の判決は簡単であつて意味が明瞭でないが、この断案に達するためには、カルフオニア州の規定又は実際の取扱に関する事実を明かにし、これに基いてなされたものでないのが遺憾である。」といつている。なお、右事件における甲第四号証というのがいかなる書証であるかは不明であるが、原審においては「甲第四号証ニヨレバ北米合衆国ニオイテハ連邦ノ判例ニヨリ」とあるのに対し、大審院判決においては「原判決ハ甲第四号証ニヨリ北米合衆国ニオケル各州ノ判例ニヨレバ」とあつて、重大な齟齬がある。これをもつてしても右大審院判決は本件において検討されているような正確な資料にもとずいたものではない、と思われる。

なお、原告は、「右事件の上告論旨で問題としている日本人の差別的取扱ということは、本件被告が問題としている戦時中の判決ということと大同小異であろう。」と言つているが、両者の間には根本的差異が存する。右事件にいわゆる日本人の差別的取扱というのは、当時における排日的風潮とこれに基く政治活動を指すものであるが、かゝる風潮が米国裁判所において日本の判決の効力を承認する法則にまで影響する危険は殆んど考えられなかつたといゝうるのである。しかるに太平洋戦争中わが国の国民感情が強く米英憎悪の方法に駆りたてられていたことを熟知している米国側からすれば、当時米国人被告を敗訴せしめたわが国裁判が必ずしも常に冷静かつ合理的に判断されたものとは限らないことを憂慮し、米国市民保護の政策的立場から真にその必要ありと考え、右のような戦時中の判決に対し特に通常の要件に従つてその効力を承認することを拒むことがありえないことではないといいうるのである。

原告は、被告が相互承認主義に反対の立場をとつているかの如く誤解して、相互承認主義の利益を説いているが、見当違いも甚だしいものである。被告が問題としているのは、日米両国間の法律状態が現実にいかなるものであるかという事実問題である。世界の政治経済や日米友好関係を云々する必要はない。

原告は、さらに日米友好通商航海条約第四条第二項を引用して、「日本でなされた仲裁判断ですら米国において執行判決を求めうるのである。(中略)裁判所の判決が相互に承認されることを当然の前提としている。」旨を主張しているけれども、右のような勿論解釈は誤りである。なんとなれば仲裁判断が多く国際的に利用せられるに至つたのは、「外国人に対する国家裁判所の裁判の陥りやすい不公平と外国裁判所の判決の執行が屡々遭遇する困難を避けるため、渉外事件に関する紛争の解決とその結果の確保とを訴訟以外の方法に訴えようとした点にある。」(中田淳一、訴訟及び仲裁の法理三一一頁)からである。換言すれば、実際問題として外国判決の承認が国家の権威の問題を含むので、一般に厳格な条件を前提として容易でないから、私人の仲裁判断の方法でこの厳格性を緩和しようと試みているのである。従つて、原告のように、外国仲裁判断の承認が条約上確保されているから、外国判決の承認は当然であるとするのは、論理が逆であるといわなければならない。

第二に判決効力の承認の同質の問題である。米国連邦裁判所が外国判決の効力を承認するといつても、それはわが民事訴訟法において規定せられているように、確定判決としての効力を認めてこれに執行力を与えるというような意味のものではなく、むしろ外国判決を一応の証拠方法(prima facie evidence)として認めるというにすぎない。従つて、米国において外国判決の効力を主張しようとするときは、これを用いて独立の実質的訴訟を提起し、外国判決を証拠として、わが民事訴訟法にいう本案判決を得るほかはない。

このようにかりに米国連邦裁判所がわが裁判所の判決の効力を認めるとしても、その法律上の性質が異るのであるから、これをもつて相互保証あり、ということはできない。

米国法において、外国裁判所の判決は、米国の裁判所が当然これに執行力を認むべき、いわゆる「裁判記録にもとずく債権」(a debt of record)と認められるものではない。これは自国裁判所の判決にもとずく債権に対し、他の一切の原因(外国判決をも含めて)から生ずる債権に比して、法律上より強度の効力を認めるというコンモンローの原則によるものである。従つて、米国において外国判決の執行を求める者は、まずその外国判決―金銭給付判決に限る―に基く新しい訴訟(action on a foreignjudgment )を米国裁判所に提起し、これにもとずいて米国裁判所による新しい給付判決を得なければならない。そして、米国裁判所の訴訟の審理において、外国裁判所の判決は法的にみて米国裁判所の判決と同様に取り扱われるものではなく、単に当事者間における債権債務の存在に関する一種の証拠方法とみなされるに止まる。

米国におけるもつとも新しく、かつ権威的な法の再述といわれる国際私法に関するリステイトメント(Restatement of the Conflict of Laws )の第四百三十三条には、「外国判決はそれに対して執行文を賦与することにより、直ちに米国において執行しうるものではない。」と記述せられており、元ハーバード大学教授であつた故ビイール氏も「フランス、ドイツ、イタリー等いわゆる大陸法系諸国においては、第一審裁判所の長官は、外国判決の執行に関し、当事者から法定の手続を践んだ請求があつたときは、いつでもこれに対し直ちに執行文を附与することができる。」といつているが、ここにも米国法における外国判決効力承認に関する手続が、太陸法系の手続と異ることがうかがわれるのである。

前記、米国連邦最高裁判所のヒルトン事件(一八九五年)は、米国と仏国との間に、判決の執行に関する相互保証が存在しないことを理由に、仏国裁判所による判決の米国内における執行を拒否した事案であるが、この判決に現われた外国判決の効力承認に関する米国最高裁判所の意見は、米国法根本原則にふれており注目に値する。

曰く、「米国憲法制定の時に遡つて、わが国の法は外国判決に対し終局的な効力を認めず、反証を許す一応の証拠(prima facie evidence)としての効力を認めるに止まつている。現在といえども、この法則を変更したり、又この問題に関する特則を定めた制定法も又条約も存在しない。」

そしてこの判決に現われた附随意見においても、外国判決は一応の証拠であるに止まり、米国の裁判所は、必要とあらばその実質的な内容に立ち入つて再審査を行うことができることが示唆せられているのである。

他面わが民事訴訟法の母法であり、従つて同時に、外国判決の承認の要件を規定するわが民事訴訟法第二百条と殆んど同一の条項(独乙民事訴訟法第三百二十八条)をもつドイツにおいては、米国との間に相互保証はない、とするのが現在までの判例及び絶対多数説であるが、例えばシユタインーヨウナスの民事訴訟法(Stein-Jonas; ZPO-18 Aufl. 1953 Band I §328 S. 17 )はその理由として次のように述べている。

「米国においては、本質的には唯一の法源を形成する判例は、なるほど外国判決を広範囲において承認しているが、一定の実体的な事後審査の可能性があるから、相互性は保証されているとなし得ない。」というのであつて、被告の主張するところと同趣旨である。

なお、同書がこの部分の参考文献として掲げる数多くのものの一つに(フランケの二つの論文(Francke; Zeitschrift fur Deutschen Civilprozess, Band 8, S 54f., Band 27 S 147f.)があるが、同氏がこの二つの論文において述べるところの要旨は次のとおりである。

同氏は、最初の論文において、米国においては、イギリス及びスコツトランドと同様に、外国判決を訴訟原因の一つ又は一つの証拠原因或は権利名義にすぎないとしているから相互保証はないと断定しており、後の論文においては、一八九九年四月一日発行のドイツ法曹新聞第四巻一五四頁及び一五五頁に掲載されたニユーヨークの弁護士ポールシユニツツラーの所説、すなわち、「北米ではごく最近において外国判決の承認問題について、ドイツ法と同様の要件をもつて承認するような変化が生じた」との所説に反対して、やはり相互保証はないとするのである。その理由とするところは、米国連邦最高裁判所の判決は詐欺(fraud )の故をもつて手続が取り消されない限りという前提を示しているが、第一にこの詐欺という概念はアングロサクソン法生活において相当に拡大された概念であつて、シユニツツラー氏が詐欺として理解していることと異つた考えが米国連邦裁判所の判決に示されているからであり、第二は各州の法律(例えばテキサス州、ヴアージニア州)又は州の判決(例えばルイジアナ州裁判所)には米国連邦最高裁判所の判例と対立しているものがあるからである、としているのである。

次に、先に引用したヒルトン事件の判決の法理が、現行法と認められるかどうかについて考察すれば、先ず、右事件の判決に関しては、今日一部の者から次のような批判が加えられている。

(イ)  ヒルトン事件は十九世紀末に判決された事案であつて、今日その効力を認めるには、あまりに古い判決である。

(ロ)  右判決は、五対四と意見の分れた判決であつて、その効力が絶対的に後の判決を拘束するものとは考え難い。

(ハ)  最近ニユーヨーク州を始めいくつかの州裁判所で、ヒルトン事件の判決に示された相互保証の要件を否定するものが現われてきた。

しかしながら、ヒルトン事件の判決は、今日まで連邦下級審裁判所により、一貫して踏襲されてきたところであり、上記のような説は次の各点を考慮に入れて再検討の必要があると信ずる。

(イ)  米国は判例法国であつて、一旦確立された特定の判例をくつがえすためには、同等もしくは上級の裁判所の時間的に後時の判決の主要意見(ratio decidendi )において、前の判決を否定する新判決が下されるか、或は旧判決と反対の新しい制定法規の公布がなければならない。しかるに、前述のように十九世紀末から今日まで、ヒルトン事件を正面から否定した判例は少くとも連邦裁判所の判例には一つもないし、又は反対の立法もない。この事実は、右の判決が現在もなお米国連邦裁判所において拘束力をもつていることを意味する。

さらに、十九世紀末の判例が、すでに時代遅れであつて拘束力の疑わしくなつた判決である、という意見には被告は承服できない。例えば英米契約法の分野において約因が単純契約の成立要件であることを最終的に確立したラン対フウヂ事件(Ramnv. Hughes )の判決は、一七七八年の判決であり、(4 Bro. Parl. Cas. 27, 7 Term Rep. 350 N., 12 Digest(Repl.)198 )又不法行為法の分野において、絶対責任の法理を導入したライランド対フレツチヤー事件(Ryland v. Fletcher)の判決は一八六六年の判決であるが(L. R. 1 Ex 265, L. R. 3 H. L. 330,)これらの判例の効力が古くなつたという理由で弱まつて来る、という事理はない。

(ロ)  ヒルトン事件が、五対四の判決であるというので、その効力を云々する学説はあるけれども、この判決はその成立過程のいかんにかゝわらず、米国連邦最高裁判所の確立した判決であることには変りはないのである。換言すれば反対意見が比較的多いということは、将来覆される可能性がありうるという論拠とはなるが、現実に覆されないうちは、効力ある判例といわざるをえない。

(ハ)  ニユーヨーク州の州裁判所は、一九二六年ジヨンストン対カンパーニユ・ジエラール・トランスアトランテイク事件(John-stone v. Canpagnie General Transatlantique, 242 N. Y. 381, 152 N.E. 121)において、ヒルトン事件の法理に従うことを拒否した。そしてこのような結論は、同年同州最高裁判所のしたカウアンズ対チコンデロウヂ・パルプ紙会社事件(Cowans v. Ticonderoge Pulp & Paper Co. 219 App. D. V. 120, 219 N.Y. Supp. 284, att'

このようにニユーヨーク州裁判所が、連邦裁判所の判例に従うことを拒んだ結果、米国において外国判決の効力承認に関し、連邦裁判所と州裁判所との間に意見の対立が生ずることになつたが、このような対立は、もとより米国法曹の望むところではなく、今日に至るまでその解決のための努力が払われてきたのであるが、不幸にしてこの努力は未だ実を結んでおらない。しかしながら、判例の大勢は、外国判決の効力承認の問題は、連邦問題であるとし、従つてその問題についての法則は、連邦判例法によるべきであるとするの方向に進んでいるとみられる。

第三に、判決効力の承認の条件の同一の問題である。かりに、手続の性質上の差異をしばらく別として論ずるとしても、日本と米国との間には、外国判決承認の要件又は障害事由自体についても重大な相異があり、わが民事訴訟法第二百条に列挙された条件に比して遙かに厳格であるから、この点からも相互主張の実質を欠いていると見るのが至当である。

すなわち、米国法廷に訴を提起して、外国判決に基く債権の履行を強制しようとする者は、右米国法廷の裁判手続で、左の点を主張立証しなければならない。

(一) 右の外国判決が、米国との間にいわゆる相互保証を有する国の裁判所によつて下されたものであること。

(二) 判決を下した外国の裁判所が、被告に対し又は訴訟物に対し適法な裁判管轄権(jurisdiction)を有していたこと、

(三) 判決が詐欺によつて取得されたものでなかつたこと。

(四) 判決が自然的正義(natural justice )に反するものでないこと。

(五) 判決が米国の公の秩序(the public policy of the U.S. )に反するものでないこと。

等を主張立証しなければならない。そして米国の裁判所は、原告が特定の外国判決について、右に挙げた要件を充し、かついわゆる障害事由を有していないことを立証しえたときに、始めてその外国判決の米国内における効力を承認し、さらにその執行を許すのである。

右に挙げた条件のうち「判決を取得するについて詐欺的行為がなかつたこと」との点はわが民事訴訟法の要件には包含されていない別箇の要件である。そして右の意味は、田中鑑定書に引用されたグツトリツチ、国際私法(Goodrich, Conflict of Laws, 3 ed. (1949)pp 611~628 )によれば、「その外国判決を取得するに当つて詐欺が行われた場合であつて、こゝに詐欺とは衡平法上認められた詐欺のことであり、その範囲は相当に広い。」というのであり、又リース「この国における外国判決の地位」(Reese, The Status in this Country of Judgments rendered Abroad, 50 Col. L. Rev. 793, 1950 )によれば、「詐欺に該当するかどうかは米国法によつて決定するが当該外国においての方が詐欺に該当すると認める範囲が広い場合には、その外国法によつて決定する。こゝに詐欺とは、当事者が裁判所に対して自己の主張をなす公正な機会が与えられなかつた等の場合をいう。」というのである。

日米間に存する右の相違点が極めて重大なものであることは次のとおりである。今かりにわが国裁判所の訴訟手続で、当事者の一方が虚偽の原因事実を申し立て、その立証として偽造文書又は偽証によつて虚偽の事実が誤つて真実と認定せられ、これに基いて虚偽の申立をした当事者に有利な判決が与えられ、何らかの事情で、相手方はその虚偽であることを主張立証する機会が与えられなかつた事件があるとする。前記米国法理に従えば、相手方は当然このような判決は詐欺によつて取得されたものであると主張することができると考えられる。従つて、このような判決の効力を米国で承認すべきかどうかの問題が米国の裁判所で争われ、被告が詐欺的手段で敗訴したという申立をした場合に、米国の裁判所は前掲の原則にもとずいて、この主張が正しいかどうか、すなわち詐欺的手段が行われたかどうかについて、審理をすることは避け難いと思われる。そしてその審理の内容はすなわち前記わが国判決の実質的正、不正(merit )を取り上げて審査するものであり、必然的に本案の実質的再審理となり、わが民事訴訟法にいう執行判決を求める訴についての審理とは全然その本質を異にするものといわなければならない。

なお、原告は、前記大審院判例に関し「判決取得についての詐欺という要件もこの事件においてすでに問題にされており」といつているが、原告の引用している判決部分においては、執行判決を与えるについての要件の一として「(三)判決ヲ得ル為ノ詐欺ナク」との条件があげられているのみであつて、右事件においてこの条件内容及び性格が充分に審理されたかどうかは全く不明である。

同様に、前記要件のうち「外国判決が、自然的正義や米国の公益に反する場合」という障害事由も、日本の訴訟手続では未知のものである。田中鑑定書において引用している前掲リースの論文によるときは次のとおりであるという。すなわち、自然的正義(natural justice )に反すること―ということの範囲は不明確であつて、例としては被告に対して実体的弁論をすることを拒否したという場合があるのみである。

次に、米国の公益に反すること―これは米国の社会及び市民の保護のために認められた障害事由であつて次の二つの種類に分つことができる。(イ)その判決が、米国で訴えることのできない訴訟原因にもとずく場合、すなわち例えば売春行為の対価である債権、罰金等についての判決、(ロ)その判決の基礎たる訴訟原因が米国法の是認しないものでなくても、米国の社会又は市民の保護というような何らかの政策のため、外国判決にそのまゝ終局的効果を与えることを拒否する場合があるのであつて、その著明な例として不正競争に関する一事件が報告されているが、その場合に関してはその限度が不明確である。

そして田中鑑定書によれば、本件のような、戦時中敵国人である被告を敗訴せしめた事案については、右の公益違反に該当するのではないか、との疑問に対し、結局これを否定しているが、その理由として(イ)リースの引用しているのが十九世紀の判例であつて今日においても同様の特則を認めるべきかどうか疑問であること、(ロ)認めるとしても、真に必要な場合に限られるべき性質のものであること、(ハ)先例のない事例について、推測によつてその場合に該当すると判断することは避けなければならないから、特則が存在しないものと判断せざるを得ないと結論する(鑑定事項第一鑑定の結果五に対する説明七)。

しかし、(イ)十九世紀の判例であつても、その後にこれを覆えす判例も学説もないのに、右判例の法理と正反対の消極的断案を下しているのは不可解である。殊に米国司法が裁判上自国社会又は市民の保護のための政策という点を重大な要素として考慮に入れることは、今日においても少しも変更してはいないと信ずる。(ロ)戦時中敵国裁判所が自国民に対して言い渡す判決がとかく偏頗に流れたり不当に歪曲されたりする傾向があることは否むべからざる事実であるから、米国内において米国市民たる被告に対してかゝる外国判決が無差別に執行されることを防止することは、「真に必要な場合」に該当するのではないかと考える。(ハ)先例がないといわれるのは前記リースの引用している判例は先例にならないとする趣旨であろうが、積極消極いずれの先例もないから結論を下せないというならばともかく、いずれの先例もないから消極に解しなければならないとするのは不可解である。

以上によつてみるも、米国法上のこの障害事由が、わが民事訴訟法第二百条にいわゆる「日本における公の秩序又は善良の風俗に反すること」に比べてより自由なより広範囲な適用が生じうるものであることが了解できるのである。

第四証拠関係

原告は甲第一から第十号証を提出し、鑑定人田中和夫の鑑定(昭和三十一年四月十四日付鑑定書(鑑定事項第三の部分を除く。)並びに昭和三十二年四月十二日の口頭弁論期日における口頭による鑑定)を援用した。

被告は鑑定人田中和夫鑑定の一部(鑑定書のうち鑑定事項第三の部分)を援用し、甲号各証の成立を認めた。

理由

一  原告請求原因一および二の事実については当事者間に争いがない。

二  そこで本件判決について、原告が判決に表示せられた甲会社の権利承継人として、自己のための有効な判決であることを主張できるかどうかについて判断する。

1  甲会社から原告への権利移転の法律的性質についてみるに、当事者間に争いのない請求原因二記載の事実及び由中鑑定書中鑑定事項第三鑑定の結果一に対する説明一によるときは、

(一)  甲会社は、一九四一年六月二十五日その一切の株式が一人の株主である原告の手に帰属するに至つたことによつて法律上当然に解散したこと

(二)  その結果、清算が行われることになつたが、右のような解散であるため、有限責任ではあるけれどもともかく、甲会社の一切の権利義務が原告に帰属することになつたので、解散と同時に清算も結了したこと

(三)  かくして、甲会社は、右の日において完全に消滅し、法人格を失つたこと

を認めることができる。

2  右のように法人が解散し法人格を失つたとき、その法人を当事者の一方とする訴訟はどうなるか、についての米国法における普通法の原則についてみるに、田中鑑定書中鑑定事項第三、鑑定の結果二に対する説明二(1) 及び四(1) 並びにこれに引用されている判例(連邦最高裁判所の Oklahoma Natural Gas Co. v. Oklahoma(1927), 273 V. S. 257, 71 L. ed. 634, 同じく連邦最高裁判所の Chicago Title and Trust Co. v. Forty-One Thirty-Six Wilcox Bldg, Corp. (1937), 302 V. S. 120, 82 L. ed. 147 )及び学説(Ballantine, On Corporations, Revised Edition, 1946, PP722, 727, 728, Fletcher, Cycropedid Corpolation, vol. 16(1942 Revised Volume)§ 8115, 8147-8149, vol. 17(1933). § 8581-8583, Marcus, Suability of Dissolved Corporations-A Sudy in Intrastate and Federal-State Relationships, 58 Harv. L. Rev. 675(1945)によれば、次のように認めることができる。

普通法の原則によれば、当事者たる法人が解散した場合においては(自然人が死亡した場合、訴訟の目的たる権利を譲渡した場合も同じであつたが、連邦民事訴訟規則によつてこの厳格な法則な適用しなくなつている。)、その訴訟は消滅(abate )する。そして訴訟の消滅とは、当該訴訟が完全に死滅してしまうことを意味し、従つて、他の者が交代して当事者となつて(換言すれば、その訴訟を受け継いで)、訴訟を続行するということもできず裁判所が判決をしてもその判決は無効である。

そして、その判決に対しては、不服申立をしてこれを取り消してもらうまでもなく、何人といえどもその無効を主張でき、また、その判決が形式的に確定することによつて有効となるということはない。

そこで、右の法理を本件の場合に適用するときは、結局甲会社の提起した訴訟は、第一審裁判所に係属中である一九四一年六月二十五日に甲会社の解散及び清算の結了にともない、完全に消滅(abate )したといわなければならない。従つて、一九四二年四月十日に言い渡された判決は全く無効であつて、その後右判決を確定せしめる手続が行われたけれども、その手続はすべて無効であつて、かかる手続のために右判決が有効になることはない、という結論になる。

3  しかし、前記オクラホマ事件において明かにされたところによれば、右の原則は、法人設立の準拠法国の制定法に別段の規定があるときは適用されない。

すなわち、法人の設立された国(又は州)に、解散後も少くとも訴訟をする目的のために法人格が存続する旨の制定規定があるときには、法人が解散しても、訴訟は消滅することなく、訴訟はそのまゝその法人の名において追行せられることになるのである。

しかして、田中鑑定書中鑑定事項第三、鑑定の結果三に対する説明、四、(2) 及びこれに引用されている(Hornstein, Volumtary Dissolution, 51 yale L. J. 64, 71-73, (1941))によると、米国における法人解散後における一定の目的のため又は一定期間の法人格存続に関する法の制定態様は、ホルンシユタインの説くところにより、次のような三つの類型になる。すなわち、第一は、一定の期間に限定せずに、清算の目的の範囲内(もつとも用語は種々異なつている。)で法人格が存続するとするものであり、第二は、例えば、解散後二年というように、一定期間を限つて、解散前又は右期間内に開始された訴訟について終局判決があるまで法人格が存続するとするものであり、第三は、一定期間を限るのみで、その期間内に開始された訴訟ならば終局判決まで追行することができる旨の明文のない場合であつて、この場合には、その一定期間内に終結していない訴訟は消滅(abate )すると判決されている、というのである。

右のうち第一の類型の規定には、清算の目的の範囲内で私法上の行為をなしうるのみならず、訴訟行為をもなしうる旨(例えば、「その法人の名において訴え又は訴えられることができる」)を明言しているのが通例であるが、必ずしもそのような文言は必要ではなく、法人は解散後もその事業を結了するために存続し、右目的のために必要な行為をなしうると規定しているのみの場合にも、その解散法人が又はこれに対して訴訟をすることができる、と解されている。従つて、わが民法第七十三条「解散シタル法人ハ、清算ノ目的ノ範囲内ニ於テハ、其清算ノ結了ニ至ルマデ、尚オ存続スルモノト看做ス」、商法第百十六条「会社ハ解散ノ後ト雖モ、清算ノ目的ノ範囲内ニ於テハ、仍存続スルモノト看做ス」というような規定もこゝにいう別段の規定に当るわけである。

しかして、田中鑑定書中鑑定事項第三鑑定の結果七に対する説明九、一〇によるときは、甲会社の設立された国であるベルギー国の商法会社編第百七十八条第一項は、「商事会社は、解散後もなお清算の目的のために存続する。」と規定しており、右に述べたところによれば、かゝる規定は、訴訟の消滅を阻止する別段の規定に当るのである。

しかし、本件においては、その清算は解散当日に結了してしまつているのであるにもかかわらず、本件の米国連邦裁判所における訴訟は清算結了の際になお係属しており、その第一審判決はその後になされているということになるのである。

そこで以上のような制定規定がある場合、清算結了の際になお係属している訴訟が前記原則によつて消滅するものと解してよいか、を考究することを要する。田中鑑定書中鑑定事項第三鑑定の結果七に対する説明一〇及びこれに引用されている連邦最高裁判所の判決、デイフエンス・サプライ会社対ロウレンス倉庫会社事件(一九四九年、Defence Supplies Corp. v. Lawrence Warehouse Co. 336. V. S. 631, 93 L. ed. 931)によれば、右の判決は比較的最近に本件に類似した事案について言い渡された判決であることが明らかにされているので、以下これをみることにする。

事実関係は次のとおりである。デイフエンス・サプライ会社(Defence Supplies Corp, 以下A会社という。)は一九四四年二月に訴を提起したが、事件が第一審に係属中である一九四五年七月一日に、その前日(六月三十日)の連邦議会両院の決議にもとずいて(他の同様の諸会社とともに)、解散させられ、その一切の権利義務は(既存の)リコンストラクシヨン・フイナンス会社(Reconstruction Finance Corporation, 以下B会社という。)に移転された。そして右共同決議第二条には、「訴訟は消滅(abate )せず、裁判所に、十二カ月以内ならば、何時でも、申立によりその訴訟をB会社が、又はB会社に対して、続行することを許すことができる。」旨規定されていた。その十二カ月以内である一九四六年一月九日に、原告勝訴の第一審判決があり(Defence etc. v. Lawrence etc. (1946)67 F. Supp. 16)同年四月十五日この判決は登録され、同年六月十四日被告から、これに対する控訴が申し立てられた。

そして右の十二カ月経つてから後である一九四七年十二月に第一審判決維持の第二審判決があつた(Lawrence etc. v. Defense etc.(1947)164 F. 2d. 773)。その後になつて原告(A会社)が解散していることが問題となり、B会社が当事者として交代すること並びに訴状及び判決の訂正をすることを求めたが、連邦控訴裁判所(第九巡回区)は、十二カ月以内に当事者交代の申立をしなかつたのだから、訴を却下すべきであると判決した(Lawrence etc, v. Defense etc,(1948)168 F. 2d 199)。この判決に対するサーシオレーライが認可され、この点につき判決されたのが、こゝに問題としている連邦最高裁判所の判決であつて、連邦最高裁判所は、控訴裁判所の判決を取り消し、訴は却下すべきでなく、控訴を却下すべきである(すなわち、第一審判決の確定)とした。その判決の趣旨は、次のとおりである。

A会社は、解散後も、解散当時係属していた訴訟を、B会社の交代が許されうる十二カ月の間は、自ら追行することもできる。従つて、その間にA会社の名でなされた判決(第一審判決)は有効である。ところが、B会社が交代するとの申立なしに十二カ月を経過すると、もはやB会社が交代することができなくなるばかりでなく、その時に上訴手続が消滅(abate )してしまつて、上訴裁判所が右第一審判決を再審理する権限をもたなくなる。従つて第二審裁判所は控訴を却下すべきであり、右第一審判決が確定することになる、というのである。

この事件では、特に制定法によつて、一定期間内は当事者たる解散法人に他の法人が交代し得、交代すれば新当事者の名においてその後も訴訟を続行しうると定められていたという事情があつたが、現実には当事者の交代が行われなかつたのであるから、この当事者交代という問題を除外して考慮すると、この判決の趣旨は、解散法人の名において一定期間訴訟を続行しうる場合において、その期間が満了した際に訴訟がなお係属しておれば、その時にその訴訟が消滅するとするのである。

この趣旨から類推すると、前記規定によつて解散後も清算の目的の範囲内では法人格が存続しうるのであるから、その限りにおいて解散法人の名において訴訟を続行しうる、といえるけれども、清算が結了して法人格が消滅してしまえば、その際になお係属している訴訟は、その時に消滅するといわなければならない。

そうすると、本件においては、訴訟係属中に、甲会社の清算が結了して、甲会社の法人格が消滅したのであるから、その清算結了のときに訴訟は消滅し、従つて、その後にされた、本件執行判決請求の基本となつている連邦第一審裁判所の判決は無効である、といわなければならない。

4  普通法のこの原則の海事事件への適用

(一)  海事事件手続においても、右の普通法の原則が適用されるべきかどうかについてみるに、田中鑑定書中、鑑定事項第三、鑑定の結果二に対する説明三及び鑑定の結果三に対する説明四(1) 並びにこれに引用されている第二巡回区連邦控訴裁判所のザ・グレイハウンド事件(The Greyhound(1934)68F. 2d. 832 )によるときは、この点に関しては海事事件手続においても同一の法則が行われるものとみるべきである。

すなわち、右のザ・グレイハウンド事件においては右が海事事件であるにもかゝわらず、前述のオクラホマ事件を引用して同一の原則を述べているのであつて、海事事件手続において右の原則の適用がない、とする理由はない。

(二)  右にのべた普通法の原則は、現在においては、連邦においても、またいずれの州においても、制定法(時には判例法)で、この厳格性を緩和するに至つている。

すなわち、田中鑑定書中鑑定事項第三鑑定の結果二に対する説明二並びにこれに引用されている連邦民事訴訟規則(Rules of Civil Procedure for the United States District Courts, Federal Rules of Civil Procedure)によるときは、連邦第一審裁判において当事者の地位に変動があつた場合のうち当事者の死亡等四つの場合について、同規則第二十五条に規定があるが、右の規定は次のとおりであつて、本件において問題になつている法人の解散の場合については、同規則中にもその他にも連邦の制定規定は存在しない。

連邦民事訴訟規則第二十五条、当事者の交代(Substitution of Parties)

(a) 死亡

(1)  当事者が死亡しその請求権が消滅しないときは、裁判所は、当事者の死亡後二年以内に、決定で、正当な当事者(proper parties)による交代を命ずることができる(may )。右の規定による交代が行われないときは、死亡した当事者について訴を却下しなければならない(shall )。死亡した当事者の相続人もしくは人格代表者又は他の当事者は当事者交代の申立をすることができる。

(以下、申立書の送達についての規定は省略する。)

(2)  多数当事者たる原告又は被告のうちの一人もしくは二人以上が死亡した場合において、当該訴訟にあつて訴求されている権利が、生存原告のためにのみ又は生存被告に対してのみ存続するときは、その訴訟は消滅(abate )しない。この場合には、当事者の死亡は記録上諒知できるように記載し、生存当事者のため又はこれに対して、訴訟を進行しなければならない。

(b) 禁治産(incompetency)当事者が禁治産者となつたときは、裁判所は、本条(a)項の定めるところに従つて送達された申立にもとずき、その禁治産者の代表者により又はこれに対して、訴訟を続行することを許すことができる。

(c) 利益の移転(transfer of interest)利益の移転の場合には、訴訟は原当事者により又はこれに対して続行することができる。但し、裁判所は、申立により、利益の移転をうけた者をして原当事者に交代させ、又はこれと共同当事者になることを命ずることができる。この申立書は本条(a)項の定めるところに従つて、送達しなければならない。

(d) 公務員の死亡又は離職<省略>

しかも、法人の解散の場合における判例については前述のとおりであつて、前記の原則を確認するだけであつて、これを変更する趣旨の判例は見当らない。

5  したがつて、本件判決は、訴訟消滅後その消滅前の原告たる甲会社のためにされたものであつて、当然無効のものというべく、本件原告にとつても無効といわなければならない筋合である。

三  これに対して、原告は種々の観点から右原則並びにその本件事案への適用について反論を主張しているが、当裁判所は、これらはいずれも理由がないと判断する。以下その理由を示すことにする。

(一)  日本の裁判所は外国判決の有効無効を判断する権限なし、とする主張について。

なるほど原告の主張するように、外国判決はその国における司法機関の判断であるから、これに対しては最大限の尊敬が払われなければならないであろうけれども、民事訴訟法第二百条において外国判決を承認するためには、当該外国判決が当該国の法に照して有効であることを前提とすることは当然であつて、本件判決が形式的に確定しているからといつて、米国法の観点からその有効性を主張しえない場合であれば、外国の確定判決であつてもこれに対して執行を許す判決をすることはできないもの、と解すべきである。したがつて、日本国の裁判所である当裁判所は本件判決の有効無効を判断する権限を有する、といわなければならない。

(二)  一般法理上、裁判の当然無効はありえない、とする主張について。

一般に、ある裁判が無効である、ということは稀有の事例に属するものといわなければならないけれども、法理上ありえない、という主張にはにわかに賛成しがたい。

ことに、本件の場合においては、前述のように、米国法のもとにおける普通法の原則として、法人が解散して法人格を失つたときには特段の場合を除き、その法人が当事者の一方となつていた訴訟は消滅する、という法理が存在し、そして右の原則の適用を肯定せざるをえない以上、判決の当然無効という法理があり得ない、との主張は理由がない、というほかはない。

(三)  法人解散の場合の普通法の原則の存在が認められるとしても、右は海事事件手続においては適用されない、との主張について。

海事事件手続においては、原告の主張するように、普通法の本来の手続に比較すると、その厳格性が緩和されているところがある、といえるけれども、すでに前述したように海事事件において右の原則が適用されない、という趣旨の制定法又は先例は見当らず、かえつて前述のグレイハウンド事件においては海事事件においても前記普通法の原則が適用されることを当然の前提とする判示があるのである。原告の主張は採用できない。

また原告は、当事者死亡の場合には訴訟が消滅しない、との通常事件手続上の法則の海事事件手続への類推適用を指摘しており、すでに述べたように、前記普通法の原則は、当事者死亡の場合には通常事件の手続においても、制定法である連邦民事訴訟規則(第二十五条(a)項)によつて、その適用が排除されているけれども、通常事件手続においても将又海事事件手続においても当事者死亡の場合の規定を法人解散の場合に適用すべき根拠がないから、前記結論を左右するものとはいえない。

さらに、原告は、アメリカン事件をもつて海事事件手続における、法人解散の場合にもその訴訟は消滅しない、という原則を明らかにした新判例であると主張する。

しかし、田中鑑定証言及び右事件の判決内容によれば、すでに被告の主張においても明らかにされているとおり、この事件においては、問題とされている法人の設立準拠法であるデラウエア州の制定法において、この点に関する明文の規定があつて、別段の規定のある場合といえるから、さきの普通法の原則がこの判例によつて否定されたもの、とみることはできない。

のみならず、この事件の判決は一九二八年になされており、さきに挙げたグレイハウンド事件は同一の裁判所においてその後の一九三四年になされたのであるが(但し、裁判所を構成した裁判官は前者はマントンManton´オーガスト・エヌ・ハントAugustus. N. Hand及びエル・ハントL. Handの三名であるが、後者はこの三名のうちエル・ハントがチエスChaseと代つただけであつた。)、後の事件において前記普通法の原則の適用を肯認しているのである。

さらに原告は、トルコ共和国事件を先例として挙げているけれども、田中鑑定証言及び右事件の判決内容によれば、この事件において、解散による権利移転の問題はこの事件の被告からこの事件の原告の当事者となる能力について主張せられているところではあるけれども、この事件の原告はトルコ共和国自体であつて、原告の人格には当初からなんら変更のない事案ということができるので本件の事案には適切な判例ということができない。

なお、原告は、この事件において、アベイトメントの主張が斥けられている旨を主張しているけれども、田中鑑定証言によれば、右にいうアベイトメントは妨訴抗弁であるプリー・イン・アベイトメント(plea in abate-ment)を意味するにとどまり、訴訟が消滅するかどうかとは関係なく用いられている、とみるのが相当である。

(四)  ベルギー民事訴訟法の規定(同法第三百四十二条、第三百四十三条)をもつて前記普通法の原則にいう「別段の規定」に該当する、との主張について。

右にいう別段の規定とは、すでに明らかにしたように、法人設立国における、法人が解散したのちにおいてもなお少くとも訴訟をする目的のための法人格が存続する旨の制定規定をさすものと解すべきである。すなわち、法人格は法律の規定によつて附与されるものであり、この規定がなければ法人は存在しないものであるから、解散後の法人にもなお法人格の延長が認められるとすれば、その趣旨の明文の規定の存在が必要とされるものというべきであるからである。

ところが原告の援用するベルギー国民事訴訟法の規定は、その主張するところによれば(右の規定の趣旨を原告主張のような意味に解すべきかどうかについては被告も疑問を掲示しているが、そのことの当否はしばらくおく。)、法人格を存続せしめるかどうかの点を直接に規定しているものではなく、訴訟手続の規定として一旦弁論がなされた以上、当事者の資格がどうなろうとも弁論はもとのままで続行できる、というのである。

このように、ベルギー国民事訴訟法の当該法条が訴訟手続の面からの規定である以上、その規定にもとずく訴訟手続の行われる法域においてこれを援用して反射的に法人格存続の効果を主張しうる場合があるとしても、右以外の法域において、これを援用できると解することは、その規定の趣旨とするところに反するもの、といわなければならない。

本件判決は米国の法廷において、米国法上の訴訟手続によるものであるから、右のベルギー国民事訴訟法が適用されないことは明らかである。

しかも、右の規定は訴訟手続規定のうちにあるばかりでなく、その規定の内容もまた訴訟手続に関するものであるから、米国法上の訴訟手続による判決について主張しうべき制定法といえない、とみるほかはない。

結局本件の場合において、さきに挙げたベルギー商法会社編第百七十八条第一項の規定のほか、「別段の規定」の存在はこれを肯認することができない、というほかはない。

(五)  本件が米国連邦民事訴訟法規則第二十五条(c)項の「利益の移転」に該当する、との主張について。

本件の事案を前法律的にみるときは、原告も主張しているように、原告は甲会社から利益の移転をうけたということが可能であるかもしれない。

しかしながら、田中鑑定書鑑定事項第三、鑑定の結果七に対する説明一一及びこれに引用されている判例(米国連邦第九巡回地区控訴裁判所の一九四九年の判決マクコウム対ロウ・リバア・ランバア会社事件)の内容によるときは、連邦民事訴訟規則第二十五条(c)項の「利益の移転の場合には、訴訟は原当事者によつて又はこれに対して続行することができる」というのは、利益を移転した後においても、裁判所が当事者の交代を命令しない限り、原当事者が又は原当事者に対してそのまま訴訟を続行することができる(当事者適格を持続する)のであつて、裁判所は申立により、当事者の交代又は原当事者と利益の移転をうけた者とが共同当事者となるべきことを命ずることもできるが、利益の移転を受けた者がかかる申立をしなければならないわけではなく、又かかる申立があつた場合でも、これを許すかどうかは、裁判所の裁量によるのである、と解せられるけれども、ここにいう「利益の移転」があつた、というためには、その移転の時において原当事者がなお訴訟追行権(少くともその限りにおける法人格)を保有していることを前提とするものといわなければならないのに、甲会社が解散してその清算が結了した結果、原当事者たる甲会社の法人格が完全に消滅してしまつている本件において、右にいう「利益の移転」に該当するものがあるといえないと解するほかなく、結局規則第二十五条(c)項の適用はないもの、とというベきである。

(六)  本件における権利の移転に関しては、法人の合併の場合に関する法理の類推適用をすべきである、との主張について。

一般に米国法においては、法人合併の場合に関しては前記普通法の原則にもかかわらず、制定規定がない場合であつても、当該法人を当事者とする訴訟は消滅しないばかりでなく、合併によつて消滅した法人が自らの名において訴訟を追行しうることが、判例によつて明らかにされている。すなわち、田中鑑定書、鑑定事項第三、鑑定の結果三に対する説明五、及びこれに引用されている判例(ジヨウジヤ州裁判所のアトランタ・ニユウズペーパーズ対ドウヤル事件 Atlanta Newspapers v. Doyal(1951), 84 Ga. App. 122, 65 S. E. 2d, 433 及び連邦裁判所のフレミング対サウザン・クラフト会社事件 Fleming v. Southern Kraft Corporation(1942), 43 F. Supp. 541)によれば、法人の合併によつて原当事者である法人が消滅することがあつても、合併による新設法人又は存続法人は当事者として消滅法人と交代して訴訟を続行することが認められるばかりでなく、そのような手続をとらなくても、消滅法人の名においても訴訟を続行することができるもの、と解せられている(もつとも、消滅法人の名において訴訟を続行できるとの点については反対説がある。フレチヤア・サイクロペデイア・コーポレイシヨンズ Fletcher; Cycropedia Corporations, vol. 15(1939 Replacement volume § 7180, P 274)。

原告は、以上の法理が本件の事案に類推せられるべき旨を主張するところ、本件の場合における権利移転はたまたま法人から法人への移転の形をとつているから、法人の合併の場合と類似の態様といえないことはないけれども、すでに前にみたように、甲会社は合併の結果として解散したのではなく、その全株式が一人の株主である原告の手に帰属することによつて解散の効果が発生し、甲会社の権利義務の一切が原告に移転することになつたのであるから、本件の権利移転は、法律的にみるときは、合併とは別箇の態様であること明らかであるといわなければならない。

右のように法律的な権利移転の原因が別箇の点にある場合においては、事実上類似点がある、という理由だけでは、当然類推適用を認めるべき根拠とはなりえないし、本件の場合において右のほか類推適用を認めるべき法律上の根拠ないしは先例も見当らないので、結局消極に解するほかはない。

四  以上説示したところによつて明らかなとおり、本件の基本となつた判決は米国法の法理に照し、これを有効な判決ということをえず、日本国の裁判所はこれに対し執行判決を与えることができない、というほかないので、日本国と米国との間において確定判決の効力の承認に関しいわゆる相互保証があるかどうかについて昭和八年十二月五日大審院判決の積極的見解にかかわらず、現在なお相当に疑問の余地なしとしないけれども、この点の判断を省略することとし、結局原告の訴を理由なしとして民事訴訟法第五百十五条第二項第二号によつて却下すべく、訴訟費用については同法第八十九条によつてこれを原告の負担とし、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川善吉 桝田文郎 田倉整)

別紙(一)

Filed

Apr 10 1942

R. S. Zimmerman, Clerk

By Murray E. Ueine

Deputy Clerk

IN THE DISTRICT COURT OF THE UNITED STATES

SOUTHERN DISTRICT OF CALIFORNIA

CENTRAL DIVISION

IN ADMIRALTY

NO. 1265-BH

SOCIETE PURFINA MARITIME, a corporation,

Libelant,

vs.

8598. 09 Long Tons of Diesel Oil, the cargo of the tank vessel

LAURENT MEEUS and MITSUBISHI SHOJI KAISHA, LTD.,a corporation,

Respondents,

GENERAL PETROLEUM CORPORATION OF California, a corporation,

Claimant.

FINAL DECREE

MITSUBISHI SHOJI KAISHA, LETD.,a corporation,

Cross-Libelant,

vs.

M/T LAURENT MEEUS and SOCIETE PURFINA MARITIME, a corporation,

Cross-Respondents.

By reason of the law and the findings of fact on file herein,

IT IS HEREBY ORDERED, ADJUDGED AND DECREED:

1. That libelant, SOCIETE PURFINA MARITIME, a corporation, do have and recover from MITSUBISHI SHOJI KAISHA, LTD.,a corporation, the sum of NINETY THOUSAND, TWO HUNDRED SEVENTY-NINE and 95/100(90, 279. 95)DOLLARS, with interest thereon at 7% per annum from October 11, 1940, to the date of this decree, amounting in all to the sum of Ninety-Nine Thousand seven hundred thirty three & 38/100(99, 733. 38)DOLLARS, with interest thereon at 7% per annum from the date hereof until paid, together with libelant'

2. That libelant, SOCIETE PURFINA MARITIME, a corporation, do have and recover from 8598. 09 Long Tons of Diesel Oil, respondent cargo herein, and from ROYAL INDEMNITY COMPANY, a corporation, the surety on the admiralty stipulation for value given for the release of said respondent cargo, the sum of SIXTY-FOUR THOUSAND(64, 000)DOLLARS, with interest thereon at 7% per annum from the date hereof until paid, and

That libelant do have and recover from GENERAL PETROLEUM CORPORATION OF CALIFORNIA, a corporation, owner and claimant of said respondent cargo, the sum of SIXTY-FOUR THOUSAND(64, 000)DOLLARS, with interest at the rate of seven per cent(7%)per annum upon the said sum of $xable costs in the sum of NINETY-EIGHT and 58/100(98. 58)DOLLARS, together with interest on said costs at seven per cent(7%)per annum, from the date hereof until paid.

That libelant shall not recover in the aggregate from said 8598. 09 Long Tons of Diesel oil, Royal Indemnity Company and General Petroleum Corporation of California more than SIXTY-FOUR THOUSAND(64, 000)DOLLARS with interest thereon at seven per cent(7%)per annum from April 10, 1942 until paid, plus costs and interest thereon as herein provided.

3. That libelant is entitled to enforce this decree in first instance against any party against whom recovery is decreed herein. That libelant shall not recover in the aggregate more than the total sum of Ninety Nine Thousand Seven Hundred Thirty-three & 38/100(99, 733. 38)DOLLARS, with interest thereon at seven per cent(7%)per annum from the date hereof until paid, and costs, with interest on the costs, all as hereinbefore provided.

4. That MITSUBISHI SHOJI KAISHA, LTD.,take nothing by its cross-libel herein and that said cross-libel be and the same is hereby dismissed.

5. That unless this decree be satisfied within ten(10)days after the entry thereof and notice to respondent and cross-libelant MITSUBISHI SHOJI KAISHA, LTD.,and to claimant GENERAL PETROLEUM CORPORATION OF CALIFORNIA, or to their proctors, the sureties or stipulators for costs and for value upon the part of said respondent and cross-libelant and upon the part of said claimant, do cause the engagement of their stipulations to be performed or show cause within four(4) days after the expiration of said ten(10)days, why execution should not issue against them, their goods, chattels and lands to enforce satisfaction of this decree.

Dated: April 10. 1942.

BEN HARRISON

United States District Judge

別紙(二)

千九百四十二年四月十日編綴

書記官   アール・エス・ジママン

書記官代理 ムレー・イー・ウエイン

カルフオルニヤ州南部地区中央分区

アメリカ合衆国地方裁判所

海事部BH第一二六五号

判決

原告(リベラント) 法人ソシエテ・ピユルフイーナ・マリテイーム

被告(レスポンデント) タンカー船ローラン・メーユス号積荷重油 八五九八・〇九英噸

及び

法人 三菱商事株式会社

所有権主張人(クレーマント) 法人カリフオルニヤ・ジエネラル・ペトローリヤム・コーポレーシヨン

反訴原告(クロス・リベラント) 法人 三菱商事株式会社

反訴被告(クロス・レスポンデント)タンカー船ローラン・メーユス号

及び

法人 ソシエテ・ピユルフイーナ・マリテイーム

法律及び提出されたる事実の認定に基き、

一、原告法人ソシエテ・ピユルフイーナ・マリテイームは、法人三菱商事株式会社より、金九万二百七十九ドル九十五セント及び之に対する千九百四十年十月十一日より本判決の日迄の年七分の割合による利息合計金九万九千七百三十三ドル三十八セント及び之に対する本日以降完済に至る迄年七分の割合による利息、並に原告の訴訟費用金五百九十七ドル十八セント及び之に対する本日以降完済に至る迄年七分の割合による利息の支払を受くべし。

二、原告法人ソシエテ・ピユルフイーナ・マリテイームは被告積荷重油八千五百九十八・〇九英噸、及び右被告積荷解放のための価額に関し海事契約上保証人たる法人ロイヤル・インデムニテイ・カンパニー(ロイヤル保証会社)より金六万四千ドル及び之に対する本日以降完済に至る迄年七分の割合による利息の支払を受くべし。

原告は前記被告積荷の所有者にして所有権主張人である法人カリフオルニヤ・ジエネラル・ペトローリヤム・コーポレーシヨンより金六万四千ドル及び千九百四十二年四月十日より完済に至る迄右金六万四千ドルに対する年七分の割合により利息の支払を受くべし又更に原告は前記所有権主張人カリフオルニヤ・ジエネラル・ペトローリヤム・コーポレーシヨン及び訴訟費用に関するその契約者たる法人ハートフオード・アクシデント・エンド・インデムニテイ・カンパニー(ハートフオード災害保証会社)より原告の確定訴訟費用金九十八ドル五十八セント及び之に対する本日以降完済に至る迄年七分の割合による利息の支払を受くべし。

原告は前記重油八千五百九十八・〇九英噸、ロイヤル・インデムリヤム・コーポレーシヨンより合計に於て金六万四千ドル及び之に対する千九百四十二年四月十日より完済に至る迄年七分の割合による利息に本判決に示された訴訟費用及びその利息を加えた金額以上の支払を受けてはならない。

三、原告は本判決に於て支払を受けるよう命じられたものの中最初に何れに対しても本判決を執行することができる。但し原告は合計に於て、本判決に前述せる金九万九千七百三十三ドル三十八セント及び之に対する本日以降完済に至る迄年七分の割合による利息並に訴訟費用及びその利息を超えて支払を受けてはならない。

四、三菱商事株式会社は反訴によつて何等受けるものなく、右反訴は茲に棄却する。

五、本判決が記録され被告にして反訴原告たる三菱商事株式会社及び所有権主張人カルフオルニヤ・ジエネラル・ペトローリヤム・コーポレーシヨン又は之等の代理人に送達があつた後十日間以内にその履行がなされない場合には、訴訟費用及び価額に関する前記の被告兼反訴原告及び前記所有権主張人の保証人又は契約者はその契約の履行を為すか、又は前記の十日間の経過後四日以内に彼等自身、その所有する商品、動産及び土地に対し本判決を履行せしめるため執行命令を発してはならない理由を申し立てなければならない。

千九百四十二年四月十日

アメリカ合衆国地方裁判官

ベン・ハリソン

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